赤城神社主婦失踪事件|101円を手に車を降りた48歳女性、娘が目を離した数十秒に何が起きたのか

1990年代

1998年5月3日、ゴールデンウィークの赤城山の南麓には、強い雨が降っていました。千葉県から家族7人で三夜沢の赤城神社を訪れていた志塚法子(しづか・のりこ)さん、当時48歳は、「私もお賽銭をあげてくる」と言って車を降ります。手にしていたのは、お賽銭にする101円だけだったといいます。

しばらくして、車の外に出た娘が、神社とは別の方向の林の中に立つ母親の姿を見ています。子どもをあやそうとほんの数十秒目を離したあと、もう一度目を向けたとき、そこに法子さんの姿はありませんでした。先に参拝に出ていた夫と叔父も、法子さんには会っていなかったのです。

警察と消防が山狩りを続けましたが、法子さんも、持ち物の一つも見つかりませんでした。人でにぎわう連休の神社で、家族のすぐ近くから一人の女性が消えた。「平成の神隠し」とも呼ばれるこの出来事から、28年がたとうとしています。

事件の概要

項目内容
事件名赤城神社主婦失踪事件
日時1998年5月3日(日)正午過ぎ
場所群馬県勢多郡宮城村三夜沢(現在の前橋市三夜沢町)の赤城神社
行方不明者志塚法子さん(当時48歳、千葉県白井市在住の主婦)
同行者夫、娘、孫、叔父、叔母、義母(本人を含めて7人)
天候強い雨
持ち物お賽銭の101円と、赤い傘だけだったとされる
最後の目撃娘が、神社とは別の方向の林の中に立つ姿を見たのが最後
捜索警察と消防による山狩りやヘリコプターでの捜索が約10日間続いた
現在行方は分かっていない

赤城山の南麓、三夜沢の赤城神社

赤城山には、山頂近くの大沼のほとりに建つ赤城神社と、南の麓にある三夜沢の赤城神社があります。法子さんが姿を消したのは、麓の三夜沢の赤城神社のほうです。前橋市によれば、全国に多くの分社を持つ赤城信仰の中心地とされ、県の天然記念物に指定された3本の俵杉や、県の重要文化財の本殿などが残る古い神社です。

神社へ向かう参道には、約3.2キロにわたって約1000本のアカマツやクロマツが並び、その根元には約4000株のヤマツツジが植えられています。花の見頃は4月下旬から5月中旬。法子さんたちが訪れた5月3日は、ちょうどツツジの季節でした。北関東自動車道の伊勢崎インターから車で30分ほどで、神社には無料の駐車場もあります。山奥の秘境というより、連休には多くの人が訪れる身近な観光地です。

雨の連休、家族7人の参拝

事件を紹介した記事によると、この日の赤城神社行きは、義母の提案でその日の朝に決まったものでした。車に乗っていたのは、法子さんと夫、娘、孫、叔父、叔母、義母の7人です。一行が神社に着いたのは午前11時30分ごろで、外は大雨でした。

全員で降りるのはためらわれる空模様だったのでしょう。まず夫と叔父の2人が、雨の中を先に参拝に向かいました。法子さんたちは車の中で待っていましたが、数十分たったころ、法子さんは「私もお賽銭をあげてくる」と言い残して車を降ります。正午を回ったころのことでした。

持っていたのは、お賽銭の101円だけだったといいます。服装はピンク色の長袖シャツに黒いスカート、ハイビスカス柄のサンダルで、赤い傘を差していました。また、法子さんは耳が少し聞こえにくく、ふだん使っていた補聴器を車の中に置いたままだったとも伝えられています。少し参拝してすぐ戻るつもりの、ごく短い外出だったはずです。

林の中に立っていた母

法子さんが車を降りてしばらくして、娘が幼い子どもをあやすために車の外へ出ました。そのとき、神社から100メートルほど離れた林の中に、母親が立っているのが見えたといいます。そこは、参拝に向かうはずの社殿とは別の方向でした。

娘が子どもの相手をして目を離したのは、ほんの数十秒。顔を上げたときには、もう母親の姿はなかったそうです。参拝を終えて車に戻ってきた夫と叔父も、行き帰りのどこでも法子さんを見ていませんでした。

ピンクの服に赤い傘という、雨の中でもよく目立つ姿です。神社の近くに住む女性は、2020年に現地を訪ねた週刊実話の記者に、雨の日で人も多かったのに、誰も彼女の姿を見ていない、不思議な事件だったと語っています。

雨にかき消された足取り

家族は周りを探しましたが、法子さんは見つかりません。午後1時30分ごろ、管轄の大胡警察署に捜索願が出され、夕方には警察と消防を合わせて80人ほどの態勢で捜索が始まったとされています。警察犬も投入されましたが、強い雨のために匂いを追うことができませんでした。

それから約10日間、山狩りやヘリコプターによる上空からの捜索、周辺での聞き込みが続けられました。神社の近くに住む女性の家にも、警察が2回ほど話を聞きに来たといいます。それでも、法子さんにつながる遺留品は一つも見つからず、寄せられた目撃情報も20件ほどで、有力なものはありませんでした。

週刊実話の記者は、現場が思っていたよりずっと狭く、林道も社殿から駐車場まで5分とかからない短いものだったと書いています。林道は別の方向にも延びているものの、すぐに行き止まりになり、その先には広い森林が広がっていました。家族が車を止めた場所から神社までは、ほんのわずかな距離。その短い道のどこかで、法子さんの足取りは途切れたのです。

無言電話と、テレビに映った女性

家族が千葉の自宅に戻ったあと、家には何度か無言電話がかかってきました。市外局番は鳥取県の米子と大阪だったといいます。けれど、電話の主が誰だったのかは分からず、手がかりにはなりませんでした。

失踪のあとには、法子さんが映り込んでいるとされるホームビデオの映像が、テレビで紹介されたこともありました。しかし家族は、映っていたのは別人だと否定しています。2006年には家族がテレビ番組に出演して情報を呼びかけましたが、このときも有力な情報は寄せられなかったとされています。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

大規模な捜索は約10日間で区切りを迎え、その後も法子さんの行方を示す情報は得られていません。事件を紹介した記事の中には、2008年に家族が失踪宣告の手続きをとったと伝えるものもありますが、公的な資料では確かめられませんでした。事件性が確認されたわけではないため、警察が今どのような形で情報を受け付けているのかも、公には示されていません。

残された謎

最大の謎は、参拝に向かったはずの法子さんが、なぜ社殿とは別の方向の林の中にいたのかということです。目立つ服と傘を身につけていながら、連休でにぎわう神社で誰の目にも留まらなかったことも、説明がつきません。そして、10日間にわたる捜索で、傘やサンダルといった持ち物さえ一つも見つかりませんでした。

説1:山林に迷い込み、事故に遭った

もっとも現実的とされるのが、林道から森に入り込んで道に迷った、あるいは事故に遭ったという見方です。2026年10月に現地を歩いた一城ひとまさんは、境内そのものは大人が迷うような場所ではないとしながらも、北へ約2キロの山中にある巨石の祭祀跡「櫃石(ひついし)」へ向かう道は分かりにくく、登るのに40分ほどかかったと記しています。補聴器を置いてきていたとすれば、家族が呼ぶ声に気づけなかった可能性もあるでしょう。ただ、この説では、大がかりな捜索で何一つ見つからなかったことの説明が難しくなります。

説2:何者かに連れ去られた

連休の神社には多くの車と人が出入りしていました。娘が目を離したわずかな時間に、誰かの車に乗せられたのではないかという見方です。しかし、法子さんが誰かと一緒にいるところを見た人はおらず、不審な車の情報も伝えられていません。

説3:自らの意思で姿を消した

自分から姿を消したのではないかという見方もあります。けれど、赤城神社に行くことはその日の朝に決まったばかりで、法子さんが持っていたのはお賽銭の101円と傘だけでした。補聴器まで車に残していったことを考えても、前もって計画していたとは考えにくいのではないでしょうか。

「神隠し」という呼び名

この事件は「平成の神隠し」と呼ばれ、オカルト的な関心を集めることも少なくありません。ネット上では、同じ神社で過去にも人が消えたという話が語られていますが、一城さんは当時の新聞記事や公的な記録を見つけられなかったと書いています。赤城山に伝わる「谷隠し」の伝説も、人がいなくなる話ではないそうです。神隠しという言葉は、説明のつかなさを表す言葉にすぎないのです。

未詳録の考察

この事件でいちばん胸に残るのは、娘が目を離した「数十秒」です。幼い子をあやしていた娘を、誰が責められるでしょう。家族のすぐそばで、ほんの短い時間に人の姿が見えなくなる。それが現実に起こりうるという事実そのものが、この事件の怖さなのだと思います。

もう一つ気になるのは、法子さんが林の中で立っていたという場面です。何かに気を取られたのか、道を探していたのか、今となっては分かりません。法子さんは耳が少し聞こえにくかったとされます。雨音の中で、もし周りの声が届きにくい状態だったとすれば、ほんのわずかな方向の違いが、取り返しのつかない距離になってしまったのかもしれません。事故か、事件か。どちらの可能性も、まだ閉ざされてはいないと考えます。

「神隠し」という言葉は、この事件を語りやすくしてくれます。けれど、その言葉の向こうには、ある日突然、母を、妻を失った家族がいます。不思議な話として消費するのではなく、一人の女性の足取りが途切れた出来事として記録しておきたいのです。

事件がもたらした影響・結末

事件性が見えない行方不明の難しさ

成人の行方不明は、事故なのか、事件なのか、自らの意思なのかが分からないまま時間だけが過ぎていくことが少なくありません。この事件でも、大規模な捜索は約10日間で区切りを迎え、その先は家族がテレビなどを通じて情報を求め続けることになりました。手がかりが何も残らなかったからこそ、捜査として追い続けることが難しくなる。その現実を、この事件ははっきりと示しています。

「神隠し」として語られ続けること

一方で、この事件は「神隠し」としてテレビや雑誌、ネットで繰り返し取り上げられてきました。2024年には日刊ゲンダイも、「神隠し」をテーマにこの事件を紹介しています。語り継がれることで情報が集まる可能性がある一方、根拠のない憶測が家族に向けられることもあります。事件を伝える側には、関心を集めることと、家族を傷つけないことの両方が求められているのではないでしょうか。

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参考資料

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