パラコート連続毒殺事件|自販機の取り出し口に「もう1本」、全国で17人が亡くなった毒入り飲料と41年見えない犯人

1980年代

自動販売機でジュースを買ったら、取り出し口にもう1本、瓶が入っていた。得をした気分で、そのまま口をつける。1985年、そんなありふれた出来事が、命を奪う罠になりました。

瓶の中に混ぜられていたのは、パラコート。当時、除草剤として農家などに売られていた猛毒です。犠牲になった人たちの多くは、犯人と顔を合わせてもいなければ、恨まれる理由があったわけでもない。ただ、そこにあった飲み物を手に取っただけなのです。

警察庁によると、この年、清涼飲料水などに毒物が混ぜられた事件は全国で78件。毒を飲み込んだ37人のうち、17人が亡くなっています。のちに「パラコート連続毒殺事件」と呼ばれる一連の事件ですが、すべてが一人の犯人による連続殺人だったと確かめられたわけではありません。誰が、何のために、見知らぬ人の命を奪ったのか。41年がたった今も、その答えは闇の中なのです。

事件の概要

項目内容
通称パラコート連続毒殺事件
時期1985年(昭和60年)を中心に多発
地域1都2府22県(警察庁の集計による毒物混入事案全体)
主な場所自動販売機の取り出し口や周辺、道ばたなど
使われた毒物除草剤のパラコートが中心。ほかの農薬などが使われた事案もある
警察庁の集計(1985年)毒物混入事案78件、毒を飲み込んだ人37人、うち死者17人
犯人一連の事件の全体像は分かっていない。同じ犯人による犯行とも確認されていない
公訴時効事件当時の殺人罪の時効は15年

取り出し口に置かれた「もう1本」

1980年代の日本は、街角にも住宅街にも自動販売機が立ち並んでいた時代。犯人はそこに目をつけたのでしょう。毒を混ぜた瓶を取り出し口や機械のそばに置き、次にやってきた誰かが手に取るのを待つ。そんな手口です。

アメリカのUPI通信は、1985年の夏以降、日本で相次ぐこの事件を繰り返し伝えています。9月21日の記事によると、7月12日に大阪で、健康飲料を飲んだ男性が亡くなったのに続き、三重県や京都府でも、自動販売機で買った炭酸飲料を飲んだ人が死亡しました。警察は、製造の段階で毒が入った可能性は低く、自動販売機の中やそばに瓶が仕掛けられたとみていたといいます。

被害の多くに共通していたのは、「お金を入れたら、取り出し口に2本入っていた」という状況です。誰かの取り忘れだと思えば、手に取ってしまうのも無理はありません。人のちょっとした得した気分につけこむ、なんとも卑劣なやり方だったのです。

全国へ広がる被害と、警察の警戒

9月に入ると、被害は関西だけにとどまらなくなります。UPI通信によれば、福井では国道沿いで拾った飲み物を飲んだ男性が意識不明の重体に。和歌山や静岡でも被害が出て、9月25日には東京で、大学生が殺虫剤の混ぜられた自動販売機の飲み物を飲んで病院に運ばれています。パラコートだけでなく、別の毒物が使われた事件も起きていたわけです。

警察庁は全国規模の注意喚起に乗り出し、飲料メーカーにも協力を求めます。東京では警視庁が、買う前に取り出し口を確かめる、ふたが開けられていないか見る、怪しい容器には手を出さない、といった呼びかけのチラシを配っています。薬局や毒物を扱う店には、不正な客に売らないことと、販売の記録を正しく残すことが求められました。

「数人が関わっている」――10月の時点で10人が死亡

10月27日のUPI通信によれば、この半年で毒入りの飲み物によって亡くなった人は10人。そのうちの一人は、44歳の男性。自動販売機にお金を入れると瓶が2本出てきて、両方とも飲んでしまい、2週間後にパラコート中毒で亡くなったといいます。タクシーの運転手からもらった飲み物で亡くなった男性もいました。

注目すべきは、このときの警察の見方です。事件が全国のあちこちで起きていることから、警察は一人の犯人による犯行という見方を、すでにほぼ捨てていました。ある広報担当者は「全国で起きているので、数人が関わっていると思う」と話しています。前の年に世間を騒がせた「かい人21面相」の事件にならった、互いに関係のない模倣犯の可能性も指摘されていたのです。

17歳の高校生も犠牲に

11月17日、埼玉県で、17歳の女子高校生が自宅近くの自動販売機で飲み物を買いました。取り出し口には瓶が2本。彼女は2本とも家に持ち帰り、そのうち1本を3分の1ほど飲んだところで具合が悪くなります。病院に運ばれたものの、1週間後の11月24日に息を引き取ります。原因は、やはりパラコートでした。

UPI通信は、彼女の死によって、4月以降の無差別な毒入り飲料による死者が12人になったと伝えています。誰が飲むか分からない場所に毒を置く。その行為が、これからの人生を歩むはずだった17歳の命まで奪ったのです。この時点でも、犯人の手がかりはつかめていませんでした。

学校や公園にも――三重県で相次いだ21件

毒入りの飲み物が置かれたのは、自動販売機のそばだけではありません。警察庁の『昭和61年警察白書』には、三重県で起きた事案が記されています。1985年11月5日から12月12日にかけて、津、鈴鹿、伊勢、亀山の各市を中心に、小学校や保育園、児童公園などにパラコート入りのコーヒー牛乳のパックが置かれたというもの。連続21件、置かれたパックは計41個にのぼります。

子どもたちが集まる場所を狙ったかのような手口には、言葉を失います。ただし、この三重県の事案が、ほかの地域の事件と同じ犯人によるものだったと示す資料は見当たりません。似た手口が、各地で次々と現れていった。それが1985年の実態だったのでしょう。

死者は12人なのか、17人なのか

この事件を調べると、死者の数が資料によって違うことに気づきます。12人とするもの、17人とするもの、さらに別の数字を挙げるものもある。けれど、これは必ずしも資料同士が食い違っているわけではありません。

UPI通信の「12人」は、1985年11月24日の時点で、4月以降に無差別な毒入り飲料で亡くなった人を数えたものです。一方、警察庁の「17人」は、1985年の1年間に起きた清涼飲料水などへの毒物混入事案78件全体の死者数で、パラコート以外の毒物による事案も含まれています。数える範囲と時点が違えば、数字が違うのは当然のこと。どの数字が、何を数えたものなのかを見分けることが大切なのです。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

警察は全国で警戒を強め、飲料メーカーや自動販売機の業界も新聞広告や警告ステッカーで注意を呼びかけました。それでも犯行は止まらず、多くの事件で犯人は見つからないまま。当時の殺人罪の時効は15年だったため、1985年に起きた事件は、2010年に時効が廃止されるより前に時効を迎えていることになります。一連の事件の全体像が明らかになったという公式の発表は、今もありません。

残された謎

最大の謎は、言うまでもなく犯人の正体です。一人だったのか、それとも何人もいたのか。そして動機。お金を要求する電話も、犯行声明も、ほとんどの事件では残されていません。誰かを狙ったのでもなく、見返りを求めたのでもないとしたら、犯人は何を目的に毒を置いたのか。その問いには、41年がたっても答えが出ていないのです。

説1:一人の犯人による連続犯行

「連続毒殺事件」という呼び名のとおり、一人の人物が各地を移動しながら犯行を重ねたのではないかという見方です。同じ毒物、同じような手口が、同じ年に集中していることがその根拠とされます。ただ、事件は1都2府22県にまで広がっていて、一人の人物がそれだけの範囲を動き回ったと考えるのは無理があるかもしれません。当時の警察も、一人の犯人という見方には否定的だったようです。

説2:報道に触発された模倣犯の連鎖

いま有力とされているのが、最初の事件が報じられたことで、それをまねる人物が各地に次々と現れたという見方です。前の年の「かい人21面相」の事件で、食品に毒を混ぜる手口が広く知られていたことも、模倣を後押ししたといわれます。当時の専門家は、犯人たちが捕まらないこと自体を楽しんでいるようだ、とも語っていました。もし模倣犯の連鎖だったのなら、一つの事件の手がかりが、ほかの事件の解決にはつながりにくい。捜査が難航した大きな理由の一つだと考えられます。

未詳録の考察

この事件の恐ろしさは、犯人と被害者が一度も顔を合わせていないところにあります。毒を置いた人物は、その場を立ち去ったあと、誰が飲むのかさえ知らなかったかもしれない。被害に遭った人の側には、狙われる理由も、身を守るきっかけもありませんでした。取り出し口にもう1本あった、ただそれだけで、命が奪われたのです。

そして、もし本当に模倣犯が連鎖したのだとしたら、それはもう一つの恐ろしさを物語っています。ニュースで事件を知った人の中に、自分もやってみようと考える人間がいた、ということだからです。顔の見えない悪意が、見えないまま広がっていく。1985年の日本を覆ったのは、そんな不気味さだったのではないでしょうか。

数字の上では「78件」「17人」とひとまとめにされがちですが、その一つ一つに、帰らなかった人と、悲しみを抱えた家族がいます。犯人が誰なのかが分からないまま時効を迎えた事件も多いでしょう。それでも、何が起きたのかを記録し続けることには意味があると考えます。

事件がもたらした影響・結末

パラコートの毒性を抑える製品へ

『昭和61年警察白書』によると、1985年にパラコート除草剤によって亡くなった人は、自殺も含めて1021件。前の年より427件、7割以上も増えています。毒入り飲料の事件と自殺が相次ぎ、パラコートは大きな社会問題になったのです。医療関係者などからは、もっと手に入りにくくするべきだという声も上がりました。

翌1986年には、毒性を抑えるため、パラコートに別の成分(ジクワット)を混ぜた製剤が発売されます。日本中毒学会の資料によれば、それ以降、パラコートによる中毒者の数は急激に減っていきました。事件だけが理由ではないにせよ、1985年の悲劇が毒物の扱い方を見直すきっかけの一つになったことは確かでしょう。

自動販売機と「拾った飲み物」

事件を受けて、飲料業界は自動販売機に警告のステッカーを貼り、取り出し口に細工がされたら知らせる仕組みも検討されました。そして何より、「落ちている飲み物、誰かが置いていった飲み物には口をつけない」という当たり前の注意が、社会に広く刻まれることになります。今では誰もが自然に守っているその習慣の裏に、この事件の犠牲者たちがいることを、忘れずにいたいものです。

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参考資料

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