日光市フランス人女性行方不明事件|パスポートを残して宿を出たティフェヌ・ベロンさん、スマホの記録は11時40分で途絶えた

2010年代

2018年7月29日の朝、栃木県日光市の宿で、ひとりのフランス人女性が朝食をとっていた。ティフェヌ・ベロンさん、当時36歳。夢見てきた日本への一人旅は、まだ3日目に入ったばかりでした。

宿の経営者によれば、ベロンさんは午前10時ごろに外へ出ていったといいます。部屋にはパスポートと、着替えの詰まったキャリーバッグが置かれたまま。夜には戻るつもりだったのでしょう。けれど彼女は、その日の夜になっても、翌日になっても、宿へ帰ってくることはなかった。

警察は山や川を100回以上捜してきたものの、本人にも持ち物にもたどり着けていません。一方でフランスの家族は独自にスマートフォンの記録を調べ、「宿を出た」とされる時刻のあとも、端末が宿の位置で使われ続けていたと訴えています。証言と記録、二つの時計が食い違ったまま、8年の月日が流れました。

事件の概要

項目内容
通称日光市フランス人女性行方不明事件
行方不明者ベロン・ティフェヌ・マリー・アリックスさん(VERON TIPHAINE MARIE ALIX)
国籍フランス
当時の年齢36歳
最後の足取り2018年7月29日(日)午前10時ごろ、日光市内の宿泊先から外出したとされる
身体の特徴身長約165cm、中肉、茶色の髪
当日朝の服装白系のノースリーブに、短パンのような服装
宿に残されていた物パスポート、着替えなどが入ったキャリーバッグ
見つかっていない物スマートフォン、財布、現金、クレジットカード
警察の捜索100回超、延べ1万人以上(2025年7月時点の報道)
情報提供245件(2026年7月時点の報道)
現状所在不明。警察は事件と事故の両面で調べてきた
情報提供先栃木県警察 日光警察署(0288-53-0110)

ポワティエから来た、日本を学んだ旅行者

ベロンさんはフランス西部の町ポワティエで育ち、学校で障害のある子どもたちを支える仕事に就いていました。大学では美術史を修め、ロシア語や日本語も学んでいたといいます。日本は、思いつきで選んだ旅先ではなかったはずです。

2018年7月27日、成田空港に降り立ったベロンさん。当時のデイリースポーツによると、日光のほか青森県の弘前や京都、東京などを巡り、8月中旬に帰国する予定だったといいます。初日を東京で過ごし、翌28日に電車で日光へ。3週間ほどの旅の、最初の目的地の一つが日光だったわけです。

日光に着いた日

フランスのテレビ局TF1が2026年8月に放送した特集によると、28日午後2時1分、日光駅の防犯カメラに到着するベロンさんの姿が残っていました。その数分後には、家族へ動画を一本。家族にとって、これが本人から届いた最後の便りになったのです。

チェックインは午後4時ごろ。駅から宿まで歩いていく姿も防犯カメラに写っていたと、家族側はまとめています。夕方にはコンビニエンスストアで買い物をする様子も確認されているものの、この日に観光へ出かけた様子は伝えられていません。関東には台風12号が近づいており、着いた時間の遅さもあって、宿で過ごしたとみられます。

「午前10時ごろ、外出した」という証言

29日、日曜日。ベロンさんは宿で朝食をとり、午前8時41分には、居合わせた日本人観光客が撮った写真の背景にその姿が写り込んでいます。時刻と本人の姿がはっきりそろう記録としては、これが最後といっていいでしょう。

その後について、宿の経営者は、午前10時ごろに出ていったと説明してきました。栃木県警のチラシにも「午前10時頃、日光市内のホテルから外出後、連絡が取れず」とあり、公式の足取りはこの証言を軸に組み立てられているわけです。ただ、2018年8月のデイリースポーツは、午前10時ごろに食事をしている姿を従業員が見たのが最後だと伝えていて、最後の場面の受け止め方には当初から幅がありました。

戻らないベロンさんを案じた宿の側が警察に届け、フランスの家族のもとには8月1日、駐日フランス大使館を通じて知らせが届きます。旅の3日目の朝を境に、足取りはぷつりと途切れてしまったのです。

部屋に残された物、消えた物

部屋に残っていたのは、パスポートと、着替えなどでいっぱいのキャリーバッグでした。反対に、スマートフォンや財布、現金、クレジットカードは見当たらない。旅券を宿に置き、財布と携帯だけを持って出る――旅行者が近くへ出かけるときの、ごく普通の身支度に見えます。

栃木県警は2026年6月にも公式ページを更新し、ベロンさんが所持している可能性がある物として次の品を挙げています。

  • 金色で柄物のスマートフォン「Galaxy S6」(白い手帳型カバー付き)
  • 手提げ部分が青色のバッグ
  • 青色のビニール製ポンチョ型レインコート

ノースリーブに短パンという軽装と、ポンチョ型の雨具。遠出というより、近場を歩くつもりだったようにも思えてきます。もっとも、これらはあくまで「持っていた可能性がある物」で、実際に何を手にして出たのかまでは確かめられていません。

鳴虫山の目撃情報と、憾満ヶ淵周辺の捜索

行方不明が分かった直後から、警察は宿の周辺を中心に捜索に乗り出します。8月上旬には兄と妹が来日し、元刑事の小川泰平氏とともに日光市内を歩いて情報を求めています。家族は当時、ベロンさんに突然意識を失うおそれのある持病があることを何より心配していました。

捜索が一気に大がかりになったのは8月半ばのこと。欧州のニュース局ユーロニュースによると、標高約1000メートルの鳴虫山の山道で、軽装の外国人女性が一人で歩いているのとすれ違ったという男性観光客の情報が寄せられ、警察は60人以上を投入しました。ヘリコプターや警察犬、ドローンも使い、名勝・憾満ヶ淵の付近までが捜索の対象になりました。それでも、ベロンさんにつながる物は何ひとつ出てこない。

宿の近くを流れているのは、大谷川。捜索は川沿いでも重ねられ、2019年5月には山岳救助隊が10日間にわたって周辺を捜しましたが、やはり手がかりはなし。とちぎテレビによると、2025年7月の時点で警察の捜索は100回を超え、動員は延べ1万人以上に達していました。

「外出後に宿でスマホ」――11時40分で途絶えた記録

2025年8月、共同通信が「仏女性不明、新たな糸口か 日光、外出後に宿でスマホ」という見出しの記事を配信しました。家族側がスマートフォンの記録を専門家に解析してもらったところ、外出したとされる時刻のあとも、端末が宿で使われていた可能性が浮かんだ、という内容です。その中身をより具体的に伝えたのが、翌2026年8月のTF1の特集です。

時刻内容出どころ
午前8時41分朝食会場で撮られた写真に姿が写るTF1の報道
午前10時ごろ宿の経営者が「外出した」と説明宿の証言、県警のチラシ
午前10時30分〜11時7分スマホが宿の位置を示したまま、銀行のサービスに接続家族側の解析(TF1の報道)
午前11時25分〜11時40分オンラインの地図アプリに接続家族側の解析(TF1の報道)
午前11時40分以降通信の記録が途絶える家族側の解析(TF1の報道)

これが正しければ、ベロンさんは10時に宿を出たのではなく、少なくとも11時過ぎまで宿の中か、そのすぐ近くにいたことになります。銀行のサービスにつなぎ、地図を開く。これから出かけようとする旅行者の、ありふれた朝の手順にも見えるわけです。

ただし、端末が宿の位置を示したことと、本人がそこで操作していたことは、厳密には同じではありません。位置の精度や、Wi-Fiと携帯回線のどちらの記録なのかといった点まで詰めなければ、足取りとして確定させるのは難しいはずです。警察がこの解析をどう評価しているのかも、公表されていません。

途切れ方そのものにも、読み方は分かれます。2020年には、フランスの通信会社Freeの創業者グザヴィエ・ニエル氏の協力で、電源は通常の操作で切られたのではなく、壊れたかバッテリーが外れたような落ち方だったと確認されたと報じられました。一方、2026年のTF1の特集では、家族を手伝う日本人男性が携帯会社の分析として「端末は壊れておらず、おそらく水に落ちた」との見方を紹介しています。破壊か、水没か。同じ「11時40分」という数字から、まるで違う光景が立ち上がってくるのです。

フランスの司法と、国連への訴え

日本の警察が事件と事故の両面で調べる姿勢を保つ一方、フランスでは刑事手続きが進められてきました。ポワティエで「誘拐・監禁」の容疑による司法捜査が始まり、予審判事も任命されたといいます。家族が訴えてきた連れ去りの可能性を、少なくとも捜査の対象として正式に扱ったわけです。

2022年には捜査を終える方針が伝えられ、家族は大きな衝撃を受けます。それでも翌2023年1月、パリ近郊ナンテールの未解決事件を専門に扱う部局が事件を引き継ぎ、調べ直しが始まりました。

国連の強制的失踪委員会も、この件を取り上げてきた機関の一つです。2024年1月には4回目の要請として、日本にフランス当局との協力改善と捜査の再開を促したとされます。2025年には5度目の書簡で詳しい情報提供と家族への連絡を求め、日本側の捜査情報を「十分入手できていない」とも指摘しました。

もっとも、委員会が動いたからといって、国家機関が関わる「強制失踪」だと認定されたわけではありません。家族の申し立てを受けて、締約国に情報提供や捜索を求める仕組みが使われた、と受け止めるのが妥当でしょう。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

栃木県警は当初から「事件と事故の両面」で調べていると説明し、現在も公式ページに写真と特徴を載せて情報を募っています。ただ、犯罪が起きたと認定したことはなく、成人の行方不明として扱われてきました。家族やTF1の特集は、警察が早い段階で事故との結論に傾いたと受け止めており、捜査を国の警察が主導するよう求めているのが現状です。2026年7月の呼びかけでは、県警の担当者が「年々情報提供が減っている。ささいなことでも構わないので、情報を」と語っています。

残された謎

いちばん大きな謎は、やはり時刻のずれでしょう。宿の経営者はTF1の取材にも、彼女が10時に出ていったのは確かだと繰り返したといいます。一方で家族側の解析は、11時過ぎまで端末が宿の位置にあったことを示している。どちらかが誤っているのか、それとも両方が成り立つ別の説明があるのか。ここが解けない限り、足取りの出発点すら定まりません。

家族が疑問を投げかけてきたのは、客室の調べ方についても同じです。客室ではルミノール検査で血液とみられる反応が出たものの、当時は十分に分析されなかったと家族は訴えています。TF1の特集でも、家族が依頼した専門家が壁に血痕とみられる痕跡を確認しながら、日本側の報告書ではその分析がされていないと伝えられました。家族の不信感の大きな理由になってきた点です。あくまで家族側の主張であり、警察が事件性を認めた事実はありません。

TF1の特集で兄が注目していたのは、宿の近くの空き家でした。警察の報告書には、警察犬が建物の南側の壁に反応したと記されていながら、中は調べられていないといいます。兄自身、ここに閉じ込められていた可能性はとても低いと認めているのです。それでも確かめずにはいられない。そこに、8年分の空白の重さがにじんでいます。

説1:川への転落や体調の急変による事故

日本の警察が当初から重く見てきたのが、事故の可能性です。宿のすぐ近くには大谷川が流れ、ベロンさんには突然意識を失うおそれのある持病もありました。川沿いを歩いている最中に体調が急変すれば、そのまま流されてしまうことも考えられます。携帯会社の分析として伝えられた「おそらく水に落ちた」という見方も、この説と矛盾しません。

ただ、100回を超える捜索で、本人も、スマートフォンやバッグといった持ち物も見つかっていない点は重いところです。川沿いでスカーフが見つかったこともありましたが、家族は、彼女にスカーフを身につける習慣はなかったと否定。その日に川が増水していたわけではない、というのも家族の指摘です。

説2:第三者による連れ去り

家族が強く訴えているのが、この説でしょう。フランスの司法当局が「誘拐・監禁」の容疑で捜査を始めたこと、端末の電源が通常とは違う落ち方をしたとされること、客室で見つかったという痕跡。宿を出た時刻をめぐる食い違いも、家族にとっては見過ごせない一点です。

しかし、誰かがベロンさんを連れ去った場面を見た人はおらず、特定の人物の関与を示す証拠も公表されていません。家族が不審に思う事柄と、捜査で確かめられた事実とは、分けて考える必要があるはずです。

説3:山中での遭難

2018年8月に寄せられた鳴虫山での目撃情報は、山に入った可能性を示すものでした。日光の山は宿から歩いて行ける距離にあり、軽装で登る観光客も珍しくありません。山道で発作が起きれば、人目につかない場所で動けなくなることもありえます。

とはいえ、目撃された女性がベロンさんだったかどうかは確かめられていません。山岳救助隊を含む捜索でも痕跡は見つからなかった。端末が11時40分まで宿の位置にあったという家族側の解析を前提にすれば、彼女が山へ向かったとしても正午近くになってから、ということになります。

未詳録の考察

この事件を追っていくと、どうしても「10時」と「11時40分」という二つの時刻に行き着きます。前者は宿の経営者の証言、後者はスマートフォンが残した記録。どちらか一方だけを信じて、もう一方を切り捨てるのは簡単です。けれど、本当に必要なのは、二つを同じ机の上に並べて突き合わせることのはずです。

家族側の解析がおおむね正しいとすれば、ベロンさんの姿が消えたのは昼前、しかも宿から遠くない場所だった可能性が高くなります。捜すべき範囲は、思われていたよりずっと狭いのかもしれません。逆に、解析の精度に限界があるのなら、それを明らかにすることもまた、空白を埋める作業になるでしょう。警察が解析をどう評価しているのか、その一言が公にされないことが、家族の不信を深めているように見えます。

2025年6月末までに寄せられた情報は240件。それが1年後の2026年7月の時点では、245件。単純に比べれば、この1年で増えたのは数件にとどまる計算です。記憶が薄れていく速さに、捜索が追いつけなくなりつつある。あの夏の日光で撮られた一枚の写真に、何かが写っているかもしれない。そんな小さな可能性に、今は託すしかないのです。

事件がもたらした影響・結末

家族がつくった支援の輪

ベロンさんの家族は、事件を忘れさせないために動き続けてきました。2018年11月にはポワティエで約500人が街を歩き、家族は支援団体「Unis pour Tiphaine(ティフェヌのために団結を)」を立ち上げました。兄のダミアン・ベロンさんは、海外で行方不明になったフランス人の家族を支える団体ANTREDにも携わり、同じ境遇の人たちの声を集めてきた一人です。

2025年には、ベロンさんの幼なじみが、きょうだいの日本への旅を記録したドキュメンタリー映画『L’air mouillé』を公開。2026年夏、ダミアンさんは10度目の来日を果たし、金属探知機を手に宿の裏の川岸を自ら捜して回りました。妹のスマートフォンが、まだどこかに沈んでいるかもしれないからです。

日光駅前で続く呼びかけ

毎年7月、行方不明になった日が近づくと、日光の駅前には警察官と家族の姿があります。2025年7月28日には、来日した兄を含む約10人が東武日光駅とJR日光駅の周辺でチラシ1000枚を配っています。

2026年7月28日には、母親のアン・デゼールさん(67)の姿も駅前にありました。この8年は本当につらい日々だったと語り、何が真実なのかを知りたいと訴えています。この年のチラシは日本語、フランス語、英語、中国語の4言語で、海外からの観光客にも情報を求めるものでした。NHKによると、この年には家族らの手で、日光にベロンさんの胸像も設置されました。旅の途中で消えた娘の姿を、せめてこの町に残しておきたい。そんな思いが込められているのでしょう。

事件は解決していません。ベロンさんは今も見つからないまま、44歳を迎えています。フランスの家族が求めているのは、誰かを責めることより先に、あの日の午前中に何があったのかを知ることなのです。

情報提供先

栃木県警察は、ティフェヌ・ベロンさんについて今も情報提供を呼びかけています。2018年7月28日から29日にかけて日光を訪れ、写真や動画を撮っていた人は、背景に本人や持ち物が写り込んでいないか、もう一度見返してみてください。

栃木県警察 日光警察署
電話:0288-53-0110
栃木県警察「フランス人行方不明者を捜しています。」

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参考資料

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