沖縄市警察官2人射殺事件|35年以上重要指名手配、又吉建男はどこへ消えたのか

1990年代

1990年11月23日。沖縄県では、暴力団同士による大規模な抗争が激化していた。

その警戒にあたっていた沖縄県警の警察官2人が、沖縄市で銃撃され死亡した。

殉職したのは、比嘉正雄警部、当時43歳。拝根正吉警部補、当時42歳。

2人は私服で捜査車両に乗り、暴力団抗争の警戒にあたっていた。その最中、沖縄市胡屋にあった暴力団関係者の拠点付近で銃撃を受けた。

報道では、2人は対立する暴力団の組員と誤認されて襲撃されたとされている。

事件から35年以上。警察は事件への関与を疑われている又吉建男(またよし・たけお)を、殺人容疑で全国指名手配している。2026年現在も、その所在は明らかになっていない。


目次

  1. 沖縄市警察官2人射殺事件とは
  2. 前日に起きた高校生射殺事件
  3. 暴力団の拠点付近で警戒していた2人
  4. 第六次抗争とは何だったのか
  5. 又吉建男が殺人容疑で指名手配される
  6. 実行犯の一人は立件された
  7. 県外へ逃走した又吉
  8. 最後に確認された足取りは2000年
  9. 「死亡している可能性」も報じられた
  10. 不可解な5つのポイント
  11. 35年以上続く重要指名手配
  12. 情報提供先
  13. 事件から35年以上、残された最大の謎
  14. 参考資料

沖縄市警察官2人射殺事件とは

事件が起きたのは、1990年11月23日夜。

当時の沖縄県では、三代目旭琉会と、そこから分裂した沖縄旭琉会による「第六次抗争」が続いていた。

沖縄県警によると、第六次抗争では41件の抗争事件が発生し、7人が死亡、13人が負傷した。警戒中の警察官2人だけでなく、アルバイト中だった定時制高校生も拳銃によって命を奪われている。

暴力団同士だけの争いでは済まず、警察官や一般市民まで巻き込む事態となっていた。その渦中で発生したのが、比嘉警部と拝根警部補が殺害された事件だった。


前日に起きた高校生射殺事件

この事件を理解するうえで欠かせないのが、その前日、11月22日に那覇市前島で起きた別の事件である。

三代目旭琉会錦一家の幹部宅前で、発砲に備えた防御壁の取り付け作業をしていた男子高校生が、対立する沖縄旭琉会系の組員によって射殺されるという事件が起きていた。

報道によれば、又吉と、後に実行犯として立件されたもう一人の男は、この高校生殺害事件への報復を模索していたとされる。その渦中で、警戒に当たっていた私服警察官2人を対立組織の組員と誤認し、銃撃に及んだとみられている。

沖縄県警は、この事件の背景に錦一家幹部の指示があったとみて、現在も捜査を続けている。


暴力団の拠点付近で警戒していた2人

比嘉警部と拝根警部補は事件当時、私服で捜査車両に乗務していた。

2人が警戒していたのは、沖縄市胡屋にあった三代目旭琉会系「錦一家」の隠れアジト付近だったと報じられている。抗争が激化していたため、警察は暴力団関係施設周辺で警戒活動を続けていた。

しかし、その警察官自身が銃撃の標的となった。当時の報道によれば、2人はそれぞれ至近距離から3発、1発の銃弾を受け、ほぼ即死だったとされる。犯人らは犯行後、事件を目撃した近くの主婦を追い払おうとした際に誤って発砲し、重傷を負わせたとも伝えられている。

琉球新報は、2人が対立組織の構成員と間違えられて銃撃されたと報じている。警戒にあたっていた警察官が、暴力団員と誤認されて殺害された。異例の事件だった。


第六次抗争とは何だったのか

第六次抗争の背景には、沖縄県最大規模の暴力団組織内部の分裂があった。

沖縄県警によると、三代目旭琉会では組織運営方針を巡る対立が起こり、絶縁処分となった理事長が1990年10月に「沖縄旭琉会」を結成した。その後、両組織による激しい抗争へと発展した。

県警の「50年の歩み」によると、第六次抗争では、

  • 抗争事件41件
  • 死者7人
  • 負傷者13人

が確認されている。

県警は事態を鎮静化するため大規模な取締りを実施。首領11人、幹部88人を含む220人を検挙し、延べ522カ所を捜索。拳銃42丁を含む5452点を押収した。県外からの応援捜査員600人を含め、最大1470人の捜査員が投入されたとも報じられている。それほど大規模な取締りが行われた抗争だった。

抗争は1992年2月、両旭琉会の代表が終結宣言を行ったことで、表だった争いは事実上終結している。


又吉建男が殺人容疑で指名手配される

この警察官2人の殺害事件で、現在も指名手配されているのが又吉建男である。

又吉は1949年10月13日生まれ。身長は約172センチ。2026年現在76歳。警察庁は「殺人」の容疑で重要指名手配被疑者として掲載している。

ここで注意したいのは、又吉について刑事裁判で有罪が確定しているわけではないという点である。現在の位置付けは、殺人容疑で警察から指名手配されている被疑者だ。そのため本稿でも、又吉を確定した犯人としてではなく、指名手配中の被疑者として扱う。


実行犯の一人は立件された

事件については、すべての関係者が逃げ続けているわけではない。

事件翌日、実行犯の一人とされる男が逮捕された。報道によれば、この男は裁判で無期懲役(検察側は死刑を求刑)の判決を受け、服役してきたとされる。2020年の琉球新報の取材でも、実行犯の一人については殺人罪などで立件され、服役していたと報じられている。

一方、又吉については、事件への関与を捜査する中で名前が浮上した。警察は一度、又吉を任意同行して事情を聴いたものの、又吉は関与を否定。その翌日、姿を消したという。この時から、長期間にわたる追跡捜査が始まった。


県外へ逃走した又吉

捜査は沖縄県内だけでは終わらなかった。

琉球新報によると、県警は又吉を追跡するため専従班を編成。県外の暴力団関係者なども調べ、又吉が関西地方に潜伏していた時期には、逃走に使った車両まで特定したという。

高速道路の利用履歴なども調査され、一時は又吉の生活圏をかなり絞り込んでいたとされる。それでも身柄を確保することはできなかった。県外の暴力団組織などから援助を受けながら逃走していた可能性も報じられている。


最後に確認された足取りは2000年

長い逃走の中で、又吉の最後の有力な足取りとして報じられているのが2000年10月である。

琉球新報によると、又吉は京都府内の病院を、他人名義の健康保険証を使って受診していた。その時点で、がんが脊髄にまで転移した末期の状態で、自力歩行が困難な状況だったとされる。この受診にも県外の暴力団組織からの援助があったとみられている。

これ以降、確実な足取りは表に出ていない。事件発生から約10年後。そして2026年現在、その受診からも25年以上が経過している。


「死亡している可能性」も報じられた

又吉については、死亡している可能性も長年取り沙汰されている。

2020年の報道では、沖縄県警が又吉は死亡した可能性が高いとみていると伝えられた。同年の取材に応じた指定暴力団旭琉会幹部も、「数十年前に又吉は重病と聞いていた。今はもう生きていないだろう」と語っている。2000年に確認された際には重い病状だったとされることも、その背景にある。

しかし重要なのは、これは死亡が確認されたという意味ではないことだ。2026年7月6日に更新された沖縄県警の公式ページでは、又吉は現在も、

「平成2年、沖縄市において警察官2名を殺害した」

事件の指名手配被疑者として掲載されている。警察庁の重要指名手配ページにも名前と顔写真が残っている。死亡したという公的な確認がない以上、捜査上は現在も所在不明の指名手配被疑者である。


不可解な5つのポイント

1. なぜ警察官2人が暴力団員と間違えられたのか

比嘉警部と拝根警部補は、私服で捜査車両に乗り抗争警戒にあたっていた。報道では、対立組織の組員と誤認されたことが銃撃につながったとされている。

前日に起きた高校生殺害事件への報復を急ぐあまりの誤認だった可能性はあるが、犯行側がどのような情報をもとに標的を判断したのか、なぜ警察官だと気付かなかったのかは、事件の異常性を象徴する点である。

2. 又吉はなぜ事情聴取の翌日に姿を消したのか

県警は捜査の中で又吉を任意同行した。又吉は関与を否定した。しかし報道によれば、その翌日から姿を消したという。

その後、長期間の逃亡生活に入ったとみられている。事情聴取直後というタイミングで姿を消した理由は、現在も事件を考えるうえで大きなポイントとなる。

3. どうやって長期間逃亡を続けることができたのか

県警は専従の追跡班まで編成した。関西地方で生活圏を把握した時期もあったとされる。それでも逮捕には至らなかった。

一人で数年間も警察の追跡を逃れることは容易ではない。報道では、県外組織から援助を受けていた可能性も指摘されている。

4. 2000年以降、又吉はどこへ行ったのか

最後の有力な足取りは2000年10月。京都府内の病院を受診したとされている。その後の確実な所在は公表されていない。

国内で生活を続けていたのか、海外へ移動したのか、あるいはすでに死亡しているのか。確認された事実はない。

5. 死亡説がありながら、なぜ今も指名手配されているのか

過去には、県警が死亡の可能性を高く見ているという報道もあった。しかし、死亡を裏付ける遺体や公的記録が確認されたわけではない。

そのため2026年現在も、警察庁と沖縄県警は重要指名手配被疑者として情報を公開している。「死亡した可能性が高い」と「死亡が確認された」はまったく異なる。身元が確認されるまで、事件は終わらない。


35年以上続く重要指名手配

1990年11月の事件から、2026年9月で35年以上が経過している。それでも沖縄県警は指名手配を解除していない。

2026年7月6日更新の県警ページでも、又吉の写真、氏名、生年月日、年齢、身長が掲載され、情報提供を呼びかけている。

  • 又吉建男
  • 1949年10月13日生まれ
  • 76歳
  • 身長約172センチ

警察は、似た人物を見掛けた場合など、わずかな情報でも通報するよう求めている。県警は毎年、比嘉警部と拝根警部補の慰霊式も執り行っており、歴代の県警本部長が事件の解決と暴力団壊滅への決意を述べている。


情報提供先

沖縄県警は、又吉建男に関する情報を現在も募集している。

  • 緊急の場合:110番
  • 沖縄県警察本部:098-862-0110

事件から35年以上、残された最大の謎

事件当時、沖縄では暴力団同士の激しい抗争が続いていた。多数の構成員が検挙され、拳銃も大量に押収された。実行犯の一部も立件された。抗争そのものも終結した。

しかし、又吉建男の所在だけは現在も確定していない。

1990年に姿を消し、2000年に京都の病院で足取りが確認されたとされ、その後、消息は途絶えた。重い病気だったという情報から死亡説もある。それでも遺体は確認されず、死亡を示す公的な証拠も表には出ていない。

だからこそ、2026年現在も指名手配は続いている。

又吉建男はどこへ消えたのか。そして、警察官2人の命を奪った事件の全容が明らかになる日は来るのか。35年以上が経過した現在も、その答えは出ていない。

参考資料

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