松岡伸矢くん行方不明事件|父親が目を離した間に、4歳児はどこへ消えたのか

1980年代

1989年3月7日、徳島県美馬郡貞光町。現在のつるぎ町。

親戚宅を訪れていた4歳の男児が、朝のわずかな時間に突然姿を消した。

男児の名前は松岡伸矢(まつおか・しんや)くん。

その日の朝、伸矢くんは父親やきょうだいたちと親戚宅の前を短時間散歩していた。

散歩を終えて家に戻ったあと、父親が抱いていた弟を室内の母親へ渡し、再び玄関先へ出た。

ところが――

そこにいたはずの伸矢くんの姿は、すでになかった。

家族はすぐに周囲を捜索。

その後、警察犬も投入され、警察・消防・地元住民による大規模な捜索が行われた。

しかし、伸矢くんにつながる決定的な手がかりは見つからなかった。

行方不明から37年以上が経過した2026年現在も、伸矢くんは発見されていない。

そして現在、警察庁と徳島県警はこの事案を、

「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案」

の一つとして情報提供を求めている。

ただし、これは伸矢くんが北朝鮮に拉致されたことが確認されたという意味ではない。

一体、あの朝に何が起きたのだろうか。

事件概要

  • 行方不明日:1989年3月7日
  • 場所:徳島県美馬郡貞光町(現在のつるぎ町)
  • 氏名:松岡伸矢くん
  • 生年月日:1984年4月13日
  • 当時の年齢:4歳
  • 当時の住所:茨城県牛久市
  • 身長:約110センチ
  • 体格:痩せ型
  • 特徴:左利き、右眉の上に米粒大の薄い傷跡
  • 現在:行方不明
  • 徳島県警:「拉致の可能性を排除できない事案」として情報提供を呼びかけ中

徳島県の資料によれば、伸矢くんには「左利き」「右眉上に米粒大の薄い傷跡」という身体的特徴があった。

前日は祖母の葬儀だった

行方不明になる前日の1989年3月6日。

伸矢くんは両親らとともに、徳島県小松島市で行われた祖母の葬儀に出席していた。

伸矢くん一家は当時、茨城県牛久市に住んでいた。

葬儀を終えたその夜、一家は徳島県貞光町にある親戚宅に宿泊する。

翌朝。

家族にとって何気ない一日になるはずだった。

しかし、その朝を最後に伸矢くんの消息は途絶える。

午前8時15分ごろ、家族で短い散歩へ

3月7日の朝。

午前8時15分ごろ、伸矢くんは、

父親、姉、弟、従姉妹

とともに親戚宅の前を数分間散歩した。

遠くへ出掛けたわけではない。

親戚宅周辺を家族と歩いただけだった。

散歩を終えると、一行は親戚宅へ戻った。

父親は弟を抱いていた。

他の子どもたちが家へ入っていくなか、伸矢くんはすぐには玄関から入ってこなかったという。

父親が玄関へ戻ると、伸矢くんが消えていた

父親はいったん室内へ入り、抱いていた弟を母親へ渡した。

そして、すぐに玄関先へ戻った。

ところが、

直前までそこにいたはずの伸矢くんがいない。

徳島県の公式資料でも、このとき父親は弟を母親へ渡したあと「すぐに玄関先に出てみた」と記録されている。

正確に何秒、何分だったのかは公式資料からは確認できない。

そのため「40秒で消えた」「数十秒だった」といったネット上で見られる表現を、そのまま事実として扱うことはできない。

確認できるのは、

父親がいったん室内へ入り、すぐ玄関へ戻った短い間に姿が見えなくなった

という点までである。

家族はすぐに捜索を開始

当然、最初は近くにいると考えられたはずだ。

家族は手分けして伸矢くんを探した。

しかし見つからない。

昼過ぎには警察へ通報。

警察犬も投入された。

その後、

警察、消防、地元住民による大規模な山狩り

が行われた。

周辺を大勢で捜索したにもかかわらず、伸矢くんの消息につながるものは確認できなかった。

4歳の子どもが一人で遠くまで移動するには限界がある。

だからこそ、

「なぜ近くで見つからなかったのか」

という疑問が残った。

ただし、これだけを理由に第三者による連れ去りだったと断定することもできない。

約1週間後、母親にかかってきた不審な電話

そして行方不明から約1週間後。

新たな出来事が起きる。

徳島県の公式資料によれば、3月15日ごろの夜、親戚宅にいた伸矢くんの母親宛てに電話がかかってきた。

電話をかけてきたのは、

徳島弁を話す女性

だったという。

県は、この電話を「不審な電話」と記録している。

一方で、公式ページには女性が電話で具体的に何を話したのかまでは記載されていない。

ネット上ではこの電話についてさまざまな会話内容が紹介されていることがあるが、未詳録では公式資料で裏付けられない内容を事実として扱わない。

確実に確認できるのは、

行方不明から約1週間後、母親宛てに徳島弁の女性から不審な電話があった

という事実である。

電話の主が誰だったのか。

伸矢くんの失踪と関係があったのか。

現在も明らかになっていない。

数か月後に寄せられた「よく似た子ども」の目撃情報

さらに徳島県の資料には、もう一つ気になる情報が残されている。

1989年の4月末または5月末ごろ。

徳島県海部郡日和佐町、現在の美波町にある弁天浜の岸壁で、

伸矢くんによく似た子どもを抱き、海を眺めている不審な男性

を見たという情報が寄せられた。

ただし、目撃された子どもが伸矢くん本人だったと確認されたわけではない。

男性の身元も分かっていない。

この目撃情報自体が事件と関係しているのかどうかも不明である。

それでも、行方不明になった場所から離れた海沿いで寄せられた情報として記録されることになった。

なぜ「拉致の可能性を排除できない事案」なのか

現在、松岡伸矢くんの名前は警察庁の、

「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」

の一覧に掲載されている。

徳島県警も同じ分類で伸矢くんの情報を公開している。

警察庁によれば、この分類は北朝鮮による拉致と正式に認定された人物だけを意味するものではない。

2026年現在、警察が把握している「拉致の可能性を排除できない行方不明者」は全国で数百人にのぼり、そのうち家族などの同意を得た人について氏名等が公開されている。

伸矢くんについても同様で、

北朝鮮による拉致だったと確認されたわけではない。

あくまで、さまざまな可能性を排除せず調査が続けられているという位置づけである。

不可解な5つのポイント

1.なぜ短時間で姿が見えなくなったのか

最大の謎は、やはり失踪そのものだ。

伸矢くんは家族との散歩から戻り、親戚宅の玄関付近にいた。

父親はいったん弟を室内の母親へ渡し、すぐ戻っている。

そのときには、伸矢くんはいなかった。

4歳の子どもが、この短い間に自らどこまで移動できたのか。

一方、第三者がいたことを示す決定的な証拠も公表されていない。

「その短い間に何が起きたのか」

という最初の疑問が、37年以上経った現在も解けていない。

2.大規模な捜索でも手がかりが見つからなかった

行方不明が判明すると、家族はすぐに捜索を始めた。

その後、警察犬まで投入され、警察・消防・住民による山狩りが行われている。

それにもかかわらず、伸矢くんは発見されなかった。

もし近隣で迷子になったのであれば、何らかの手がかりが見つかっても不思議ではない。

しかし、それがなかった。

ただし「見つからなかった=誰かに連れ去られた」ということではない。

山間部などでの捜索には限界もあり、現在も複数の可能性を残したままである。

3.母親への不審電話は何だったのか

行方不明から約1週間後にかかってきた、徳島弁の女性からの電話。

公式資料でも「不審な電話」とされている。

単なる間違い電話だったのか。

悪質ないたずらだったのか。

それとも伸矢くんの行方について何か知っていた人物だったのか。

電話の主は特定されておらず、事件との関連も確認されていない。

4.弁天浜で目撃された子どもは誰だったのか

失踪から数か月後、日和佐町の弁天浜で「伸矢くんによく似た子ども」を抱く男性が目撃されたという情報。

これも確認には至らなかった。

もし本人だったのであれば、なぜそこにいたのか。

誰が抱いていたのか。

一方で、単に年齢や外見が似た別の子どもだった可能性も当然ある。

目撃証言だけでは判断できず、この情報も未解明のまま残されている。

5.37年以上経っても失踪の理由が一つに絞れない

迷子。

事故。

第三者による連れ去り。

そして警察が現在も排除していない、北朝鮮による拉致の可能性。

さまざまな可能性が考えられてきた。

しかし、どれか一つを裏付ける決定的な証拠は公表されていない。

警察庁と徳島県警が今なお情報を求めていること自体が、この失踪の難しさを物語っている。

2026年現在も情報提供を呼びかけ

2026年現在も、徳島県警察は松岡伸矢くんの情報を公式サイトで公開している。

行方不明当時の特徴は、

身長約110センチ、痩せ型。

徳島県の資料ではさらに、

左利き、右眉の上に米粒大の薄い傷跡

という特徴も公表されている。

徳島県警は、

「どんな小さなことでも結構ですから情報をお寄せ下さい」

として、現在も情報提供を求めている。

玄関先から消えた4歳児

朝、家族と散歩をした。

親戚宅へ戻った。

父親が弟を室内へ連れて入れた。

そして再び玄関へ戻ったとき――

4歳の伸矢くんはいなくなっていた。

大規模な捜索。

母親への不審な電話。

数か月後に寄せられた、よく似た子どもの目撃情報。

それでも、伸矢くんがその後どこへ行ったのかを示す確かな証拠は見つかっていない。

1989年3月7日の朝。

徳島県貞光町の親戚宅で、一体何が起きたのか。

37年以上が経過した今も、その答えは見つかっていない。

参考資料

徳島県「特定失踪者の方々の情報提供のお願い」
松岡伸矢さんの生年月日、失踪日時・場所、行方不明になるまでの経緯、警察犬を含む捜索、不審電話、弁天浜での目撃情報などが掲載されている。
徳島県公式サイト
https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kurashi/jinken/2009030700018/

徳島県警察「松岡 伸矢」
1989年3月7日に徳島県貞光町(現・つるぎ町)で行方不明となったことや、行方不明当時の年齢・身体的特徴などが掲載されている。
徳島県警察
https://www.police.pref.tokushima.jp/03jyouho/ratikanousei/matsuoka/index.html

警察庁「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」
松岡伸矢さんが現在も「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者」として公開対象になっていることを確認できる。
警察庁
https://www.npa.go.jp/bureau/security/abduct/list.html

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