鳥栖市飯田町殺人事件|高速道路沿いの車内で見つかった24歳会社員、22年未解決の謎

2000年代

2004年2月9日。佐賀県鳥栖市飯田町。

九州自動車道のすぐそばを走る道路に、一台の軽自動車が止まっていた。

その車内から見つかったのは、福岡県三井郡大刀洗町に住む会社員、入口和俊(いりぐち・かずとし)さん。当時24歳。

入口さんは頭などを殴られ、殺害されていた。

まだ24歳。しかし、誰が入口さんを襲ったのか。なぜその場所に車があったのか。事件から22年となった2026年現在も、答えは見つかっていない。

佐賀県警は現在も「飯田町殺人事件」として専用の情報提供ページを公開し、捜査を続けている。


事件概要

項目内容
発覚2004年2月9日午前10時過ぎ
場所佐賀県鳥栖市飯田町
現場九州自動車道沿いの市道、側溝に脱輪していた軽乗用車内
発見者帰宅しない入口さんを捜していた母親
被害者入口和俊さん
年齢24歳
職業会社員
居住地福岡県三井郡大刀洗町
状況頭部を鈍器のようなもので殴られ、脳挫傷により死亡
死亡推定時刻2月8日午後11時ごろ~9日午前3時ごろ
車内の状況キーはエンジンの鍵穴に差し込まれたまま、運転席・助手席にわずかな血痕、財布と携帯電話が見当たらなかった
犯人未特定
2026年現在未解決

佐賀県警の広報資料では、「九州自動車道東側路上に駐車された軽自動車内」で入口さんが殺害されているのが発見されたと記されている。


高速道路沿いに止まっていた軽自動車

事件現場は、鳥栖市飯田町。九州自動車道に近い道路だった。

佐賀県警の公式資料では、入口さんが見つかった場所について、九州自動車道東側の路上に駐車された軽自動車内と説明している。

見つけたのは、入口さんの母親だった。2月9日朝、入口さんの勤務先から欠勤の連絡を受けた母親が心当たりを捜し歩き、側溝に脱輪した状態の軽乗用車を発見。車内を確認したところ、助手席に座った状態で入口さんが殺害されていた。

そしてサガテレビなどの報道では、入口さんは頭などを殴られた状態で殺害されていたとされている。

ただし重要なのは、現在確認できる公的資料では、入口さんがその車内で実際に襲われたのかどうかまでは明らかにされていないということだ。運転席や助手席からは血痕が見つかったものの、大量ではなかったとも伝えられており、狭い車内で殺害が行われた可能性は低いとの見方もある。

  • 事件現場と遺体発見場所が同一だったのか
  • 別の場所で襲われた後、車ごと移動されたのか

公開されている現在の資料だけでは判断できない。


被害者は24歳の会社員

入口和俊さんは当時24歳。2024年のFBS報道によると、福岡県大刀洗町に住む会社員だった。20代前半。これから長い人生が続くはずだった。

2月8日は仕事が休みで、昼ごろに自宅から軽乗用車で外出したとされている。その後の詳しい足取りは公表資料からは確認できないが、この日の夜に何者かに命を奪われたとみられている。

しかし2004年2月9日、鳥栖市飯田町で命を奪われた。

佐賀県警は事件後、捜査本部を設置。この事件を重要事件として捜査してきた。2024年1月の佐賀県公安委員会でも、「鳥栖市内における男性会社員殺人事件」の捜査経過について警察から説明が行われている。


頭などを殴られていた入口さん

サガテレビの報道によれば、入口さんは頭などを殴られ、殺害されていた。司法解剖の結果、後頭部が鈍器のようなもので殴られて陥没骨折しており、死因は脳挫傷だったとも伝えられている。

しかし現在の佐賀県警公式ページには、

  • 使用された凶器
  • 犯人の人数
  • 犯人の性別や年齢
  • 具体的な犯人像

といった情報は掲載されていない。誰が入口さんを襲ったのか、入口さんと犯人に面識があったのか、偶発的な事件だったのか、何らかの事情で狙われたのか。現在も明らかになっていない。

車内には、入口さんが普段持ち歩いていたとみられる財布や携帯電話が見当たらなかったとも伝えられており、金品が目的だった可能性も含め、複数の見方が成り立つ状況である。


なぜ飯田町の道路だったのか

現場となったのは、九州自動車道に近い鳥栖市飯田町。高速道路周辺という場所柄、県内だけでなく県外へ移動することも容易な地域である。

しかし、

  • 犯人が高速道路を利用したのか
  • 鳥栖周辺に土地勘があったのか
  • 入口さん自身がこの場所を選んで車を止めたのか
  • 犯人によって車が移動されたのか

その経緯は現在公表されていない。したがって、「犯人は県外へ逃走した」などと断定することはできない。


延べ11万9千人、約200件の情報提供

事件発生から20年となった2024年。佐賀県警によると、それまでに事件について寄せられた情報は約200件に上っていた。

2026年の佐賀新聞の報道では、これまでに投入された捜査員は延べ11万9000人にのぼることも伝えられている。それでも、事件の解決にはつながっていない。

情報提供の件数は年々減少しており、直近では2023年が3件、2024年が13件、2025年はわずか1件にとどまったという。

当時の佐賀県警刑事部長は、事件を必ず検挙するという決意を改めて示し、事件当日のわずかな記憶でも構わないとして情報提供を呼びかけている。約200件近い情報がありながら、犯人特定には至っていない。


2025年にも情報提供を呼びかけ

事件発生から21年となった2025年。佐賀県警の警察官駐在所だよりにも、鳥栖市飯田町殺人事件が掲載された。

そこには、2004年2月9日、鳥栖市飯田町の九州自動車道東側路上に駐車された軽自動車内で、入口和俊さんが何者かに殺害されたと改めて記されている。

つまりこの事件は、古い記録として残されているだけではない。現在も警察が情報を求め続ける、捜査継続中の未解決事件である。


不可解な5つのポイント

1. 入口さんはなぜこの場所にいたのか

入口さんが発見されたのは、鳥栖市飯田町の高速道路沿いだった。自分の意思で車を止めたのか、誰かと会う約束があったのか、たまたま立ち寄ったのか。公表資料から、その理由は分からない。

2. 実際に襲われた場所はどこだったのか

入口さんは軽自動車内で発見された。しかし、車内が実際の犯行場所だったかどうかは、現在の公開資料では確認できない。

この違いは事件を考える上で大きい。もし別の場所で襲われていたなら、犯人は入口さんや車をその場所まで移動させたことになる。一方で車内で犯行が行われたのであれば、犯人がどのように入口さんへ接近したのかという疑問が残る。

3. 犯人と入口さんに面識はあったのか

入口さんは24歳の会社員だった。しかし、交友関係の中に犯人がいたのか、まったく知らない人物による犯行だったのか。現在の県警公式資料には犯人との関係を示す情報は掲載されていない。根拠なく知人犯と決めつけることはできない。

4. 約200件の情報がありながら、なぜ解決しないのか

2024年までに、約200件もの情報提供が寄せられた。延べ11万9000人という膨大な捜査員も投入されてきた。それでも犯人は特定されなかった。

情報同士を結び付ける決定的な証拠が不足しているのか、犯人を示す物証が乏しいのか、あるいは別の事情なのか。捜査上の詳細は公開されていない。

5. 22年間、犯人はどこにいるのか

2004年から2026年。22年。犯人が現在も生きているのであれば、事件当時とは生活環境も外見も大きく変化している可能性がある。

しかし、年月が経過しても事件そのものが消えるわけではない。佐賀県警は現在も公式サイトでこの事件を情報提供対象として掲載している。


「必ず検挙する」

事件発生から20年となった2024年2月9日。佐賀県警と鳥栖警察署の捜査幹部らは、事件現場で献花を行った。

当時の県警刑事部長は、「絶対に検挙するという強い気持ちで献花した」と語り、犯人を必ず検挙するという決意を改めて示している。その後、警察官らは商業施設などでチラシを配布。事件の風化を防ぎ、再び情報を集めようとしていた。

2026年、事件から22年を迎えた際にも、県警の刑事部長が現場を訪れ献花し、「時間は経過したが、必ず検挙する気持ちで県警一丸となって捜査を続けたい」と述べている。


2026年現在も情報提供ページは残っている

2026年現在。佐賀県警の「指名手配・情報提供」ページには、今も、「飯田町殺人事件捜査に御協力を!」という項目が掲載されている。

専用ページからは、現在もオンラインで情報提供することが可能。情報提供先は以下の通りである。

  • 鳥栖警察署:0942-83-2131
  • 事件専用通報ダイヤル:080-1705-6726

佐賀県警は、些細な情報でも提供してほしいとしている。匿名での情報提供も可能である。


高速道路沿いに残された一台の車

2004年2月9日。鳥栖市飯田町。九州自動車道のそばに止められていた軽自動車。

その中で、24歳の入口和俊さんは殺害されているのが見つかった。

誰が入口さんを襲ったのか。なぜ、その場所に車があったのか。入口さんは事件直前、誰と接触したのか。どこで犯行が行われたのか。

公開資料だけでは、多くの部分が分からないまま残されている。

事件から22年。2004年2月、入口和俊さんに何が起きたのか。佐賀県警は2026年現在も、その答えにつながる情報を求め続けている。


参考資料

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