東電OL殺人事件|冤罪は晴れても、29年たって分からない「376の男」の正体

1990年代

1997年3月19日の夕方、東京・渋谷区円山町のアパートの空き部屋で、39歳の女性が亡くなっているのが見つかりました。東京電力で働いていた渡辺泰子さんです。首を絞められて殺害されていました。

警察はまもなく、近くに住んでいたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんを逮捕します。一審は無罪、控訴審は逆転して無期懲役。有罪が確定したあとも、マイナリさんは無実を訴え続けました。事件から14年後、保管されていた証拠を新しい方法で鑑定すると、マイナリさんとは別の男のDNA型が見つかったのです。

2012年、マイナリさんの無罪が確定しました。けれど、その「別の男」が誰なのかは、今も分かっていません。冤罪は正されても、渡辺さんの命を奪った人物は、29年たった今も見つかっていないのです。

事件の概要

項目内容
事件名東電OL殺人事件(東京電力女性社員殺害事件)
殺害されたとみられる時期1997年3月8日深夜〜9日未明
発見1997年3月19日夕方
場所東京都渋谷区円山町のアパートの空き部屋(101号室)
被害者渡辺泰子さん(当時39歳、東京電力社員)
逮捕・起訴された人ゴビンダ・プラサド・マイナリさん(ネパール国籍)
一審2000年4月14日、東京地裁で無罪
控訴審2000年12月22日、東京高裁で無期懲役
有罪確定2003年10月、最高裁が上告を棄却
再審開始2012年6月7日、東京高裁が決定
無罪確定2012年11月7日
真犯人分かっていない(殺人罪の時効なし)

空き部屋で見つかった女性

現場は、京王井の頭線の神泉駅にほど近い円山町の古いアパートの、1階の101号室でした。当時は空き部屋で、近くのネパール料理店の店長が部屋の管理を任されていました。

2012年の東京高裁の決定によると、店長は遺体が見つかる前日の3月18日午後3時ごろ、窓から部屋の中に女性が横たわっているのを見ています。ただ、知り合いのネパール人が仮眠しているのだろうと軽く考え、部屋には入らずに外から鍵をかけて戻りました。翌19日の午後5時ごろにあらためて部屋に入り、そこで初めて女性が亡くなっていることに気づきました。

渡辺さんは、3月8日の深夜から9日の未明にかけて首を絞められて殺害されたとみられています。財布には小銭が473円残っているだけでした。客から受け取っていた1万円札4枚は、使われた形跡がないのに1枚も見つかっていません。かつての有罪判決は、約4万円が奪われたと認定しています。

渡辺さんはなぜ円山町にいたのか

捜査の中で、渡辺さんが勤めを終えたあと、円山町の周辺で客をとっていたことが分かりました。大企業で働く女性のもう一つの顔として、事件当時、このことは週刊誌やテレビで大きく取り上げられます。事件そのものより、渡辺さんの私生活のほうが語られていったといっても過言ではありません。

けれど、渡辺さんがなぜそうした暮らしをしていたのかを、本人の口から聞くことはもうできません。その後もさまざまな本や記事が渡辺さんの心の内を読み解こうとしましたが、どれも推測の域を出ません。未詳録では、事件と裁判に関わる範囲にとどめて書くことにします。どんな暮らしをしていたとしても、殺されてよい理由にはなりません。

逮捕されたネパール人の男性

マイナリさんは、現場のアパートの隣の建物に住んでいました。事件後の3月22日、自ら警察に出向いたところ、在留期限を過ぎて日本にいたとして逮捕されます。5月20日には、その罪で執行猶予つきの判決を受けた当日に、今度は強盗殺人の疑いで逮捕されました。

警察と検察が重く見たのは、部屋のトイレから見つかった使用済みの避妊具でした。中に残っていた体液から、マイナリさんと一致する型が出ました。部屋で見つかった体毛の1本も、マイナリさんの型と一致していました。さらに、事件の夜の午後11時30分ごろ、アパートの出入口の前で渡辺さんが「東南アジア系と思われる」男性と立ち話をしていたのを、車の中から見たという証言もありました。

マイナリさんは渡辺さんと面識があり、この部屋で会ったこともあると認めていました。ただ、それは事件より前のことで、避妊具もそのときに残したものだと説明し、殺害は一貫して否定します。争点になったのは、証拠が「いつ」残されたものなのかということでした。

無罪、そして逆転の無期懲役

2000年4月14日、東京地裁はマイナリさんに無罪を言い渡しました。直接の証拠も自白もなく、状況証拠には合理的な疑いが残る、という判断です。部屋には、マイナリさんとも渡辺さんとも違う人物のものとみられる体毛もありました。渡辺さんの定期券は、マイナリさんとはつながりの見えない豊島区の民家の敷地で見つかっていました。

ところが、無罪のあとも、マイナリさんは自由になれませんでした。在留期限を過ぎていたため、そのままでは国外へ退去させられてしまいます。検察は、控訴しても刑を執行できなくなることを恐れて、裁判所に勾留を求めました。東京高裁はこれを認め、最高裁も2000年6月27日、裁判官5人のうち2人が反対する中で、この勾留を認めます。無罪判決を受けた人が、再び拘置所に戻されたのです。

2000年12月22日、東京高裁は一審の無罪判決を取り消し、無期懲役を言い渡しました。同じ証拠を見ながら、一審とは正反対の結論です。2003年10月、最高裁が上告を退け、有罪が確定しました。マイナリさんは横浜刑務所で服役することになります。

14年後に見つかった「376の男」

2005年3月24日、マイナリさんは刑務所から裁判のやり直し(再審)を求めました。2009年には東京高裁が、検察に幅広く証拠を開示し、資料を保管するよう求めます。2011年7月、東京高検が依頼した鑑定の結果が明らかになり、事態は大きく動きます。

渡辺さんの体内に残っていた体液のDNA型は、マイナリさんのものではありませんでした。その型は、部屋で見つかっていた体毛の1本、鑑定の番号で「試料376」と呼ばれていたものと一致したのです。血液型もO型で、B型のマイナリさんとは違いました。以来、このDNA型の持ち主は「376の男」と呼ばれるようになります。

さらに、渡辺さんの胸の唾液がO型だったという鑑定結果が、最初の裁判のときには明らかにされていなかったことも分かり、検察は強い批判を浴びました。その後の鑑定では、胸の唾液や下着などからも、376の男と同じDNA型が見つかっています。コートの左肩の血痕は渡辺さんの血液が主な成分でしたが、裁判所は、犯人が渡辺さんを殴った際に手についた血が、その手でコートに付いた可能性を指摘しました。

再審、そして無罪の確定

2012年6月7日、東京高裁は、新しい鑑定の結果からすれば376の男が犯人である疑いが生じ、有罪判決には合理的な疑いがあるとして、再審の開始と刑の執行停止を決めました。マイナリさんはその日のうちに刑務所を出て入管の施設に移され、6月15日、ネパールへ帰国します。逮捕から15年がたっていました。

10月29日に開かれた再審の初公判では、検察みずからが「無罪」を主張しました。有罪の主張を補うために検察が出した爪の付着物の鑑定が、かえって第三者のDNA型と一致したことが、方針を変えるきっかけになったとされています。11月7日、東京高裁は検察の控訴を退け、検察が上告する権利を放棄したことで、2000年の一審の無罪判決が確定しました。翌2013年には、身体を拘束されていた日数に応じて、約6800万円の刑事補償が支払われています。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

マイナリさんの無罪が確定したことで、事件は振り出しに戻りました。警視庁捜査一課の特命捜査対策室が捜査を続けているとされていますが、376の男が誰なのかは、今も割り出せていません。DNA型という具体的な手がかりがありながら、その持ち主の名前にはたどり着けずにいます。

事件が起きた1997年当時、殺人罪の時効は15年でした。本来なら2012年に時効を迎えるはずでしたが、その前の2010年4月27日に殺人などの時効が廃止され、施行の時点でまだ時効を迎えていなかったこの事件にも当てはまりました。真犯人が見つかれば、今でも罪に問うことができます。

残された謎

最大の謎は、もちろん376の男が誰なのかです。渡辺さんの定期券を、豊島区の民家まで運んだのは誰だったのか。財布から消えた1万円札はどこへ行ったのか。事件の夜にアパートの通路で目撃された男性が誰だったのかも、あらためて問い直されることになりました。

説1:「376の男」が犯人

再審開始の決定が示した見方です。体内の体液だけでなく、胸の唾液や下着からも同じDNA型が見つかり、再審では爪の付着物からも第三者のDNA型が出ていて、事件の夜に渡辺さんと接触し、暴力をふるった人物である可能性が高いと考えられています。ただし、それはDNA型の持ち主が分かったという意味ではありません。

説2:ほかの人物も関わっていた

376の男のほかに、事件に関わった人物がいた可能性を完全に否定することはできません。定期券が遠く離れた豊島区で見つかったことからは、事件のあと渡辺さんの持ち物を手にした人物の足取りも浮かびます。それが376の男自身だったのかどうかも、分かっていないのです。

未詳録の考察

この事件の記録を読んで、いちばん重く感じたのは、「376の男」の手がかりが、最初から現場にあったことです。体毛は事件のあとすぐに採取されていましたし、胸の唾液がO型だという鑑定結果もありました。新しい証拠が見つかったというより、すでにあった証拠が、15年たってようやく正しく読まれたのではないでしょうか。

そのあいだに失われたものは、マイナリさんの15年だけではありません。本当の犯人を追うための時間も、同じように過ぎていきました。事件直後なら、376の男の周辺で何かを見た人、覚えている人がいたかもしれない。冤罪は、無実の人を苦しめるだけでなく、被害者の真相に近づく道まで遠ざけてしまうのだと考えます。

もう一つ考えておきたいのは、伝えられ方のことです。この事件は長く、渡辺さんの「二つの顔」ばかりが語られてきました。けれど、渡辺さんは39歳で命を奪われた一人の女性で、その犯人はまだ見つかっていません。冤罪事件としてだけでなく、未解決の殺人事件として記録しておくべきだと思うのです。

事件がもたらした影響・結末

証拠開示と鑑定資料の保管

この事件で強く問われたのは、検察の手元にある証拠を、弁護側がいつ、どこまで見られるのかという問題でした。当時の横浜弁護士会(現在の神奈川県弁護士会)は、再審判決を受けて出した声明で、捜査機関が集めた鑑定資料をあとから鑑定し直せる形で保管する制度と、証拠の一覧を弁護側に渡すことを含む全面的な証拠開示の法制化を求めました。資料が保管されていたからこそ、14年後の鑑定ができたことも忘れてはいけません。

無罪判決のあとの勾留

一審で無罪となった人を、検察の控訴を理由に再び拘置できるのか。この事件は、そんな問いも残しました。背景には、外国人の退去強制を定めた入管法と、刑事裁判の手続きを定めた刑事訴訟法のあいだに、調整する決まりがないことがあると指摘されています。日本弁護士連合会は、新たな条文をつくるよう求める意見書を出しています。

被害者の私生活をどう報じるか

事件当時の報道は、渡辺さんの私生活を競うように書き立てました。亡くなった人は反論できません。事件を伝えることと、被害者を好奇の目にさらすことは、まったく別のことです。この事件は、事件報道のあり方そのものも問いかけているのではないでしょうか。

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参考資料

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