砂浜佳祐くん行方不明事件|高校の合格通知が届いた冬、施設を出た16歳

雪の積もった北海道の田舎道と、冬の低い日差し(砂浜佳祐くん行方不明事件のイメージ) 2000年代

2008年2月11日、月曜日。建国記念の日の祝日でした。北海道伊達市にある障害者支援施設「太陽の園」で暮らしていた砂浜佳祐(すなはま・けいすけ)くん、当時16歳が、この日を境に姿を消しました。

北海道警が公表する当時の服装は、黒のジャージの上下に、紺色の夏用スニーカー。2月の北海道を歩くには、あまりに薄い格好でした。佳祐くんがどこへ向かったのか、その足取りは、今も分かっていません。

そして、行方が分からなくなったあと、佳祐くんの自宅には、高校の合格通知が届いたと伝えられています。進学を控えた春を前にした少年の失踪は、18年がたった今も、行方不明のまま残されているのです。

なお、この事案について、佳祐くんが犯罪の被害に遭ったことは確認されていません。未詳録では、警察が公表する行方不明者としての記録を中心にたどり、報道や関係者の記録による経緯は、その旨を明示して区別して記します。

事件の概要

項目 内容
通称 砂浜佳祐くん行方不明事件
発生日時 2008年(平成20年)2月11日(月・祝日)
場所 北海道伊達市(障害者支援施設「太陽の園」に入所していた)
行方不明者 砂浜佳祐くん(当時16歳。平成4年=1992年生まれ)
身長・体重 161センチメートル、48キログラム
当時の服装 黒のジャージ上下、紺色の夏用スニーカー
最後に確認された様子 施設の職員に、一人で歩く姿を見られている(報道・関係者の記録による)
現状 行方不明のまま。北海道警が情報提供を呼びかけている
情報提供先 伊達警察署(0142-22-0110)、太陽の園(0142-23-3549)

失踪当日の経緯

母親への電話

当日の経緯について、報道や関係者の記録では、佳祐くんが母親に電話をかけ、「ゲームセンターに行きたい」と伝えていたとされています。行きたい場所を口にしていたこと自体は、ごく日常のやりとりだったはずです。けれど佳祐くんは、ゲームセンターに現れたとは伝えられていません。

その電話が、家族にとって最後に聞いた佳祐くんの声になりました。電話のあと、佳祐くんがどこへ向かったのかは、公表された記録からは分かりません。

職員が見た、一人で歩く姿

関係者の記録によれば、施設の職員が、一人で歩く佳祐くんの姿を見ています。それが、確認されている最後の姿です。誰かと一緒だった様子は伝えられていません。

2月11日は祝日でした。施設で暮らす佳祐くんにとって、その日がどのような一日になるはずだったのか。公表された情報から、そこまでは分かりません。

真冬には薄い服装

北海道警が公表する当日の服装は、黒のジャージの上下と、紺色の夏用スニーカーです。防寒着らしいものは記されていません。2月の北海道は、一年で最も寒さの厳しい時期です。長く屋外を歩き続けることを想定した格好とはいえません。

近くの場所へ、短時間出かけるつもりだったのか。それとも、寒さの中で足が止まってしまったのか。服装という一つの記録からだけでは、佳祐くんのその後を判断することはできないのです。

捜索の経過

途切れた足取り

佳祐くんの足取りは、施設の職員が見た姿を最後に、確認できるものが伝えられていません。向かったとみられるゲームセンターでも、ほかの場所でも、佳祐くんの姿が確認されたという公表はありません。

伊達市は、内浦湾(噴火湾)に面した胆振地方の市です。市街地を離れれば、畑や林、そして海が広がります。2月の厳しい寒さの中での失踪だったことが、捜索をいっそう難しいものにしたはずです。ただし、どのような範囲がどのように捜索されたのか、その詳しい経過は、公表された資料からは確認できません。

18年続く、警察の公開

北海道警は現在も、行方不明者を探す公式ページに佳祐くんの情報を掲載し、情報提供を呼びかけています。発生は「平成20年2月11日」。当時16歳、身長161センチ、体重48キログラムという当時の特徴が、そのまま手がかりとして示され続けているのです。

北海道警が長期の行方不明として公式ページに掲載し続けているのは、決して多い数ではありません。その一覧の中に、佳祐くんの名前は今も残っています。公開が続いているということは、警察が今も「見つかる可能性」を前提に探し続けているということでもあります。

届いた合格通知

佳祐くんが行方不明になったあと、自宅には、高校の合格通知が届いたと伝えられています。受験をし、合格を勝ち取っていた。春からは、高校生になるはずでした。

この知らせが届いたとき、佳祐くん本人は、どこにいたのか。合格を伝える相手が戻らないまま、通知だけが家に残されたことになります。家族にとって、この一通は、喜びの知らせであると同時に、佳祐くんの不在を突きつけるものだったはずです。

進学先が決まっていたという事実は、この失踪を考えるときに、重く残ります。新しい生活を控えていた少年が、なぜその直前に姿を消したのか。その理由は、今も何一つ分かっていません。

残された謎

どこへ向かったのか

最大の謎は、行き先です。母親への電話では「ゲームセンターに行きたい」と話していたとされます。けれど、その場所で佳祐くんの姿が確認されたという情報はありません。施設を出たあと、佳祐くんがどの方向へ、どれだけの距離を移動したのかさえ、公表された記録からは分からないのです。

薄着のままの、その後

黒のジャージに夏用スニーカーという服装も、手がかりであり、謎でもあります。厳しい寒さの中、屋外を長く移動し続けることは難しかったはずです。どこか屋内で過ごしたのか、誰かの助けを得たのか。

それとも、寒さの中で何かがあったのか。どれも、確認された事実はありません。

事件か、事故か、それとも

この事案について、事件性は断定されていません。北海道警の公式ページは今も「伊達市内から行方不明の少年に関する情報」として、佳祐くん本人を探し続けています。何が起きたのか、という問い自体が、18年間、答えのないまま残されているのです。

インターネット上では、この失踪についてさまざまな記述が見られますが、裏付けの弱い情報も少なくありません。未詳録では、警察の公表情報を中心に記録し、出典の確かでない話は事実として扱いません。

未詳録の考察

この事案の記録を読むと、合格通知のことが、強く心に残ります。受験を終え、合格し、春からの新しい生活が待っていた。その矢先の失踪でした。「家出」という言葉で片付けるには、あまりに不自然なタイミングだと思います。

もう一つは、情報の少なさです。同じ北海道の室蘭女子高生失踪事件では、防犯カメラの映像や乗ったバスの時刻まで足取りが追えました。佳祐くんの場合、記録に残っている確かな点は、「2月11日、施設を出て、一人で歩く姿が見られた」というところまでです。手がかりの点が少ないということは、探す側にとって、それだけ空白が広いということでもあります。

佳祐くんは、生きていれば33歳か34歳になっています。当時16歳だった少年の姿のまま、警察のページの情報は止まっています。それでも、施設の近くの道を歩く少年を見たという、誰かの小さな記憶が、今もどこかに残っているかもしれません。その記憶が寄せられることを願わずにはいられません。

その後・現在

止まったままの時間

2008年の失踪から、18年がたちました。佳祐くんは当時、高校への進学を控えた16歳でした。もし今どこかで暮らしているのなら、30代の大人になっています。少年だった頃の特徴だけが手がかりとして残り続けている現実は、行方不明という事案の難しさそのものだと思います。

今も閉じられていない窓口

北海道警の行方不明者のページには、佳祐くんの情報が今も掲載されています。情報提供先として挙げられているのは、伊達警察署と、佳祐くんが暮らしていた太陽の園です。施設そのものが窓口の一つになっているところに、この事案の形が表れています。

2008年2月11日ごろ、伊達市やその周辺で、黒のジャージ姿の少年を見かけた記憶がある方は、どんなに小さなことでも、警察へ伝えてみてください。その一報が、18年止まったままの時間を動かすかもしれません。

情報提供先

北海道警は、佳祐くんに関する心当たりを今も求めています。2008年2月11日ごろ、伊達市内で黒のジャージ上下・紺色のスニーカー姿の少年を見かけた記憶がある方は、ささいなことでも連絡してみてください。

窓口 電話
伊達警察署 0142-22-0110
太陽の園 0142-23-3549

北海道警察「伊達市内から行方不明の少年に関する情報提供のお願い」

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参考資料

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