昭和の未解決事件|防犯カメラもDNAもない時代の7つの事件

夕暮れの昭和の商店街(昭和の未解決事件のイメージ) 特集

今の事件捜査には、防犯カメラの映像とDNA型鑑定が当たり前のようにあります。けれど昭和の時代、街にカメラはほとんどなく、DNAはまだ捜査の道具ではありませんでした。残されたのは指紋と血液型、目撃者の記憶と、捜査員の足でした。

この特集では、昭和に起きた未解決事件を7件並べます。1975年から1988年まで。うち6件は公訴時効が成立し、犯人が判明しても、もう罪に問うことはできません。残る1件、山本美保さんの失踪だけは、今も現在進行形の事案として残っています。

並べて見えてくるのは、犯人の巧妙さだけではありません。時代の道具のなさと、15年という時効の壁が、解決をどう遠ざけてきたかです。

7つの事件を並べる

事件 発生 場所 被害者・対象 現在
佐賀女性7人連続殺人事件(北方事件) 1975年〜1989年 佐賀県 女性7人 全件で公訴時効成立(北方事件は無罪確定)
青酸コーラ無差別殺人事件 1977年1月 東京都・品川駅周辺 2人が死亡 1992年に公訴時効成立
長岡京ワラビ採り殺人事件 1979年5月23日 京都府長岡京市 主婦2人 1994年に公訴時効成立
新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件 1981年3月〜6月 東京都新宿区 女性3人が死亡、1人が生還 1996年に公訴時効成立
山本美保さん失踪事件 1984年6月4日 山梨県甲府市 山本美保さん(当時20歳) 行方不明のまま。拉致の可能性を排除できない事案に掲載
朝日新聞阪神支局襲撃事件 1987年5月3日 兵庫県西宮市 記者1人が死亡、1人が重傷 2002年に公訴時効成立
名古屋妊婦切り裂き殺人事件 1988年3月18日 愛知県名古屋市 守屋美津子さん(当時27歳)。赤ちゃんは救命 2003年に公訴時効成立

佐賀女性7人連続殺人事件(北方事件)|水曜日に消えた7人(1975年〜1989年・佐賀)

1975年8月27日、水曜日。佐賀県杵島郡北方町(現在の武雄市)で、一人で留守番をしていた12歳の女子中学生が自宅から姿を消しました。それが14年間にわたる一連の事件の始まりでした。

その後も同じ県内の半径約20キロの圏内で女性が相次いで行方不明になり、1989年までに7人が遺体で見つかります。7人のうち6人は、水曜日の夕方から夜にかけて姿を消していました。死因が分かった5人はいずれも首を絞められており、この一連の事件は「水曜日の絞殺魔」とも呼ばれました。

残された謎

1989年、最後の3人の遺体が山林で一度に見つかり、3人の殺害について一人の男性が起訴されました。しかし裁判の結論は死刑求刑に対する無罪で、2007年に確定しています。起訴された男性が犯人でなかったとすれば、7人を襲ったのは誰なのか。そもそも7件が本当に一人の犯人によるものなのかも、証明されてはいません。全件で公訴時効が成立した今、確かめる手立ては残されていません。

詳しい記録はこちら:佐賀女性7人連続殺人事件(北方事件)|水曜日に消えた7人の女性、無罪判決の先に残った「真犯人は誰か」

青酸コーラ無差別殺人事件|街に置かれた毒入りの瓶(1977年1月・東京)

1977年1月、東京・品川駅周辺の公衆電話ボックスに、一本の瓶入りコーラが置かれていました。王冠はきれいにはめ直され、一見すると未開封に見えたといいます。

その瓶を口にした16歳の男子高校生が死亡し、同じ朝、近くの路上でも46歳の男性が倒れて亡くなりました。いずれも青酸中毒です。周辺の別の商店でも、誰にも飲まれていない青酸入りのコーラがもう1本見つかりました。警察庁は翌年の警察白書で、この事件を「不特定人をねらったとみられる青酸コーラ殺人事件」として記録しています。その後、大阪で起きた似た中毒事件や、東京駅周辺で見つかった毒入りチョコレートも、同じ犯人によるものとは確認されていません。

残された謎

誰が飲むかも分からない毒入りの瓶を、なぜ街に置いたのか。動機は今も分かりません。青酸化合物の入手先をたどる捜査も行われましたが、犯人には届かず、1992年に公訴時効が成立しました。無差別に人を狙うという発想そのものが、当時の社会に大きな衝撃を与えた事件でした。

詳しい記録はこちら:青酸コーラ無差別殺人事件|品川駅周辺に置かれた毒入り瓶、犯人は今も不明

長岡京ワラビ採り殺人事件|レシートの裏の走り書き(1979年5月23日・京都)

1979年5月23日の午前、京都府長岡京市のスーパーで早朝のパートを終えた2人の主婦が、弁当を買って自転車で近くの山へ向かいました。目当ては、この季節に採れるワラビでした。

2人は帰ってきませんでした。2日後の5月25日、山頂近くの雑木林で遺体で見つかります。そして43歳の女性のジーパンのポケットから、勤め先のスーパーのレシートが出てきました。その裏には、鉛筆でこう走り書きされていたのです。「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」。

残された謎

「この男の人」とは誰だったのか。メモはいつ、どんな状況で書かれたのか。書くのに使った鉛筆はどこへ消えたのか。財布は残されており、お金が目的の犯行とは考えにくい点も謎です。警察は207人もの不審者のアリバイを調べ、似顔絵も公表しましたが、犯人にはたどり着けませんでした。1994年5月、公訴時効が成立しています。

詳しい記録はこちら:長岡京ワラビ採り殺人事件|「この男の人わるい人」レシートの裏の走り書きと、5年後に語られ始めた“3人目の主婦”

新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件|ホテルから一人で去った男(1981年3月〜6月・東京)

1981年3月20日の朝、新宿・歌舞伎町のホテルで、一人の女性が首を絞められて亡くなっているのが見つかりました。前の晩、女性は若い男と一緒にホテルに入っていましたが、朝になって出ていったのは男だけでした。

それから3か月のあいだに、同じ歌舞伎町のホテルで、同じように女性が首を絞められる事件があと2件起きます。6月25日には、首を絞められながらも抵抗して逃れた女性が現れました。殺された3人の女性からは、いずれも覚醒剤の成分が見つかっています。

残された謎

4つの事件が同じ男によるものだったのかは、今も確かめられていません。男の年齢の証言は20代から40代までばらついていました。そして2件目の被害者は、名前すら分からないままです。被害者が誰か分からなければ、その人の足取りをたどることもできません。この事件は、ラブホテルに防犯カメラが置かれるきっかけの一つになったともいわれています。殺人の3件は1996年に公訴時効が成立しました。

詳しい記録はこちら:新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件|3か月で3人が絞殺、ホテルから一人で去った男は誰だったのか

山本美保さん失踪事件|海岸のバッグと、割れた見解(1984年6月4日・山梨)

1984年6月4日の午前、山梨県甲府市に住む山本美保さん(当時20歳)は、「図書館に行く」と言ってバイクで家を出たまま、戻りませんでした。

2日後に甲府駅前でバイクが見つかり、4日後の6月8日には、約200キロ離れた新潟県柏崎市の荒浜海岸で美保さんのセカンドバッグが見つかります。さらに失踪から17日後、山形県遊佐町の海岸に身元不明の女性の遺体が漂着していました。

残された謎

2004年3月、山梨県警はDNA型鑑定などから、その遺体を美保さん本人と判断したと発表しました。しかし家族は、遺体の状態や身体の特徴が美保さんと違うとして、今もその結論に納得していません。警察庁は遺体を本人と判断した後も、美保さんを「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案」の一人として掲載し続けており、山梨県警と新潟県警も情報提供を呼びかけています。この特集の7件の中で、唯一、今も答えが出ていない事案です。

詳しい記録はこちら:山本美保さん失踪事件|海岸のバッグとDNA鑑定、警察と家族の見解が割れる理由

朝日新聞阪神支局襲撃事件|「赤報隊」を名乗った男(1987年5月3日・兵庫)

1987年5月3日、憲法記念日の午後8時15分ごろ。兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、目出し帽をかぶり散弾銃を持った男が侵入し、発砲しました。記者の小尻知博さん(当時29歳)が死亡し、同僚の犬飼兵衛さん(当時42歳)が重傷を負いました。

事件後、「赤報隊」を名乗る者から犯行声明が届きます。朝日新聞の東京本社への発砲など、一連の事件は警察庁広域重要指定116号事件として全国規模で捜査されました。それでも、銃を撃った男が誰なのか、「赤報隊」の実態が何だったのかは、明らかになりませんでした。

残された謎

実行犯は何人だったのか。組織は実在したのか。なぜ阪神支局では人を撃ったのか。大規模な捜査でも正体には届かず、阪神支局襲撃事件は2002年に、一連の指定事件も2003年までにすべて公訴時効を迎えました。事件の起きた午後8時15分には、今も毎年、阪神支局で追悼の黙とうが行われています。

詳しい記録はこちら:朝日新聞阪神支局襲撃事件|「赤報隊」の正体は?記者射殺から39年

名古屋妊婦切り裂き殺人事件|午後3時の訪問者(1988年3月18日・愛知)

1988年3月18日の夜7時40分ごろ、名古屋市中川区のアパートに帰宅した男性が、部屋で倒れている妻を見つけました。亡くなっていたのは、守屋美津子さん(当時27歳)。出産予定日を数日過ぎた、臨月の妊婦でした。

美津子さんは首を絞められて殺害され、お腹の赤ちゃんは取り出されていました。それでも赤ちゃんは生きていて、病院で回復し、その後無事に育ったと伝えられています。殺害されたのは、夫が帰宅する3時間以上前の、午後3時から4時ごろと推定されています。

残された謎

その日の午後3時過ぎ、同じアパートの1階の部屋を、30歳前後で丸顔の男が訪ね、「ナカムラさん」の家を尋ねて立ち去ったと伝えられています。美津子さんの友人が部屋を訪ねていたときには、玄関のドアノブが動く音もしたといいます。警察は、美津子さんが友人を見送りに出た間に何者かが部屋に入り込んだ可能性を考えていました。愛知県警は延べ約4万人を投入して捜査しましたが、犯人は分からないまま、2003年3月に公訴時効が成立しました。

詳しい記録はこちら:名古屋妊婦切り裂き殺人事件|臨月の27歳が殺害され、赤ちゃんだけが助かった――午後3時の訪問者と、時効から23年

昭和という時代が、捜査にもたらしたもの

科学捜査の道具が、まだなかった

この7件の時代、DNA型鑑定は捜査の実務にまだ入っておらず、防犯カメラも街にはほとんどありませんでした。残る手がかりは指紋と血液型、そして目撃者の記憶です。歌舞伎町の事件のあと、ラブホテルに防犯カメラが広がっていったように、この時代の事件のいくつかは、皮肉にも後の捜査環境を作るきっかけになりました。

山本美保さんの事案で2004年にDNA型鑑定が行われたことは、時代の変化を象徴しています。失踪から20年たって初めて使えた技術が、警察と家族の見解を分ける結果になったことも含めて、です。

15年という時効の壁

当時の殺人罪の公訴時効は15年でした。青酸コーラは1992年、長岡京は1994年、歌舞伎町は1996年、阪神支局は2002年、名古屋は2003年。佐賀の一連の事件も、件ごとに時効が成立していきました。2010年の法改正で人を死亡させた罪の時効は廃止されましたが、すでに時効が成立していた事件には適用されません。この7件のうち6件は、「犯人が分かったとしても起訴できない事件」になっています。

それでも残り続ける、記録と記憶

刑事責任を問えなくなっても、事件が消えるわけではありません。阪神支局では毎年、事件の時刻に黙とうが捧げられています。長岡京のレシートのメモは、今も多くの人の記憶に残り、語り継がれています。佐賀の無罪判決は、取り調べのあり方を問う記録として残りました。時効の先にあるのは、記録することの意味だといえます。

未詳録の考察

7件を並べて気づくのは、犯人が特定できなかった理由の多くが、犯人の巧妙さではなく「時代の側の事情」に帰着することです。カメラがない。DNAが使えない。15年で時効が来る。現代の捜査なら手がかりになったはずのものが、当時は存在しなかったか、間に合わなかった。

もう一つは、共通点の扱いの難しさです。水曜日、絞殺、半径20キロ(佐賀)。同じホテル街、同じ手口(歌舞伎町)。毒入りの瓶とチョコレート(青酸)。共通点は捜査の軸になると同時に、無関係な事件まで一つの物語に束ねてしまう危うさも持っています。この特集でも、同一犯と確認されていないものは、その旨を明記して並べました。

そして山本美保さんの事案だけが、昭和で止まっていません。警察の判断と家族の見解が分かれたまま、40年以上が過ぎました。時効で閉じた6件と、今も開いている1件。その対比こそが、昭和の未解決事件を今たどる意味だと思います。

情報提供先

この特集の7件のうち、佐賀・青酸コーラ・長岡京・歌舞伎町・阪神支局・名古屋の6件は公訴時効が成立しており、警察に専用の情報提供窓口はありません。個別の記録では、佐賀県警察本部(代表)の番号などが参考として掲載されています。

唯一、山本美保さんの失踪だけは現在も情報提供が呼びかけられています。1984年6月4日に甲府市の自宅を出たあとの足取りについて心当たりのある方は、山梨県警察または新潟県警察へ連絡できます。警察庁の「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」の一覧にも、美保さんの情報が掲載されています。

事案 窓口 電話
山本美保さん失踪事件 山梨県警察本部 警備第一課 055-221-0110(代表)
山本美保さん失踪事件 新潟県警察本部 警備部外事課 025-285-0110

山梨県警察「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に係る方々に関する情報をお寄せください」/警察庁「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」

関連記事

参考資料

コメント

タイトルとURLをコピーしました