梶谷恭暉さん行方不明事案|「6時頃帰る」とLINEを送った中学3年生、船で生口島へ渡った日からまもなく4年

2020年代

2022年11月13日、日曜日の午後2時半ごろ。岡山県倉敷市の中学3年生、梶谷恭暉(かじたに・みつき)さん(当時14歳)は、家族に「塾に行く」と言って家を出ました。

それから3時間ほどたった午後5時23分、お母さんのスマートフォンに、恭暉さんからLINEが届きます。「6時頃帰る」。でもそのとき、恭暉さんは瀬戸内海の上にいたとみられているのです。

恭暉さんは帰ってきませんでした。翌朝、広島県尾道市の生口島で、恭暉さんのスマートフォンと本が見つかります。まもなく4年。生きていれば、恭暉さんは今18歳になっています。

事案の概要

項目内容
行方不明2022年11月13日(日)午後2時30分ごろ、倉敷市の自宅を出る
本人梶谷恭暉さん(当時14歳・中学3年生)
当時の特徴身長約170センチ、体重約65キロ、色白で丸顔、黒色の短髪、黒縁の眼鏡
当時の服装黒色無地の長袖、白または灰色の長ズボン、カーキ色のサンダル、柄の折れた黒い傘
当日の足取り倉敷駅から電車で三原駅へ、三原港から船で生口島へ向かったとみられる
翌日生口島でスマートフォンと本が見つかる
情報提供先岡山県警 倉敷警察署 生活安全課

倉敷駅から三原へ

岡山放送が行方不明から1年後に報じたところによると、恭暉さんは家を出た後、JR倉敷駅北口のショッピングセンターの敷地に自転車を置き、倉敷駅から電車に乗りました。山陽本線の下りで広島県の三原駅に着くと、そのまま三原港へ向かっています。

三原駅でも三原港でも、恭暉さんとみられる人が防犯カメラに映っていました。どの映像でも、恭暉さんとみられる人は一人だったと報じられています。

船で生口島へ

三原港から、恭暉さんは船で生口島へ渡ったとみられています。午後5時23分にお母さんへ「6時頃帰る」とLINEを送ったのは、ちょうどその船の上だったようです。

生口島は、恭暉さんにとって知らない場所ではありませんでした。お母さんによると、恭暉さんは中学2年生のとき、学校のレクリエーションで生口島をサイクリングしたことがあったそうです。

翌日の11月14日、生口島の路上で、恭暉さんのスマートフォンと本が見つかりました。ABEMAの記事では、見つかったのは島の橋の上だったと伝えられています。

海の捜索

恭暉さんの持ち物が島で見つかったことから、海上保安庁が周辺の海を捜索しました。しかし恭暉さんは見つからず、ABEMAの記事によれば、お母さんは警察から、海に転落した可能性は極めて低いと伝えられたといいます。

島に渡った恭暉さんが、その後どこへ向かったのか。そこから先の足取りが、今も分かっていないのです。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

岡山県警は、県のサイトの「事件手配・情報提供のお願い」に、恭暉さんの情報を求めるページを載せ続けています。行方不明から1年、2年、3年の節目には、お母さんと倉敷警察署の警察官がJR岡山駅の前に立ち、チラシを配ってきました。チラシには顔写真と、いなくなった日の服装が分かる防犯カメラの画像が載っています。

警察に寄せられた目撃情報は、2年で184件、3年で195件。2年目の1年間には26件でしたが、3年目の1年間は11件に減っています。どれも、恭暉さんの発見にはつながっていません。2026年2月には、警察がスマートフォンの解析を進め、その結果をお母さんに伝えたとABEMAが報じていますが、所在につながる手がかりは明らかになっていません。

残された謎

一番の謎は、生口島に渡った恭暉さんが、その後どこへ行ったのかです。スマートフォンと本は島に残されていましたが、恭暉さん自身の姿を見た確かな情報は、そこで途切れています。

もう一つ気になるのが、「6時頃帰る」というLINEです。そのとき恭暉さんは、すでに家から遠く離れた船の上にいました。6時に帰れる場所にいないことは、本人にも分かっていたはずです。

説1:自分の意思で島に向かった

電車を乗り継ぎ、船に乗り、知っている島へ向かう。防犯カメラにはいつも一人で映っていて、誰かに連れられていたような様子はありません。恭暉さんは、何かの思いを抱えて、自分の意思で生口島へ向かったのではないかという見方です。

説2:島からさらに別の場所へ移った

生口島は、しまなみ海道で本州の尾道と四国の今治を結ぶ島の一つです。橋を渡れば、どちらへも行くことができます。お母さんはこれまで、目撃情報のあった広島県や大阪府でも情報提供を呼びかけてきました。愛媛新聞は、恭暉さんが愛媛県を訪れた可能性も報じています。恭暉さんは島に留まらず、どこか別の場所へ移っていったのかもしれません。

未詳録の考察

この事案の記録を読んでいて、私が一番心に引っかかったのは、やはり「6時頃帰る」というLINEです。

船の上から、6時には帰れないと分かっていて、それでもお母さんに「帰る」と送った。心配させたくなかったのか、少しだけ時間がほしかったのか。その気持ちは、恭暉さん本人にしか分かりません。ただ、お母さんを気づかう気持ちがあったからこそ送った言葉なのではないかと、私は思いたいのです。

そして、行き先が中学2年生のときにサイクリングをした生口島だったこと。楽しい思い出のある場所へ、恭暉さんは自分で向かったのではないでしょうか。だとすれば、恭暉さんにはその先に何か考えがあったのかもしれません。スマートフォンを置いていったのも、誰かに見つけてほしくなかったからではないか、と考えることもできます。

もちろん、これは私の想像にすぎません。分かっているのは、14歳の男の子が一人で船に乗り、島に渡ったところまで。その先で何があったのかは、誰にも分からないのです。

お母さんは3年目の呼びかけで、「元気で生きて、連絡だけでもくれたら」と話していました。もしこの記事を、どこかで恭暉さん本人が読んでいたら。家に帰ることが難しくても、元気でいることだけでも、お母さんに伝えてあげてほしい。そう願わずにはいられません!

この事案から考えたいこと

子どもの行方不明は、身近な場所から始まる

「塾に行く」と言って出かけた中学生が、その日のうちに電車と船を乗り継いで、家から70キロ以上離れた島へ渡っていました。子どもが行き先を告げずに遠くへ出かけてしまうことは、どの家庭にも起こりうることです。帰ってこないと気づいたら、すぐに警察に相談すること。それが、子どもの足取りを早く追うための一番の手立てなのです。

情報はネットではなく警察へ

恭暉さんについては、インターネット上でさまざまな噂や憶測が書かれてきました。けれど、本人やご家族を傷つける憶測は、見つけるための助けになりません。恭暉さんに似た人を見かけたときは、SNSに書き込むのではなく、警察に直接伝えてほしいと思います。

今も帰りを待つ家族がいる

お母さんは、暑い日や寒い日には息子がどうしているかを思いながら、毎日帰りを信じて過ごしてきたと話しています。恭暉さんは今も見つかっていません。

情報提供先

岡山県警察 倉敷警察署 生活安全課
電話:086-426-0110

関連記事

参考資料

コメント

タイトルとURLをコピーしました