南相馬市女子高生失踪・死亡事案|全焼した車、交際男性の死、震災のがれきから見つかった18歳

2010年代

2011年2月19日の夕方、福島県南相馬市の高校3年生、清水沙也香さん(当時18歳)は、友人に会いに行くと家族に告げて家を出た。会いに行ったのは、交際していた24歳の男性だったと報じられている。清水さんはそのまま帰らなかった。

数日後、男性の車が全焼した状態で見つかり、さらにその2日後、男性自身が亡くなっているのが見つかった。清水さんの行方が分からないまま3月11日に東日本大震災が起き、4月18日、津波の行方不明者を捜していた警察が、南相馬市小高区のがれきの下から若い女性の遺体を見つけた。

その女性が清水さんだと分かったのは、遺体が火葬された後のことだった。清水さんがいつ、なぜ亡くなったのかは、今も分かっていない。

事案の概要

項目内容
行方不明2011年2月19日午後6時ごろ、自宅を出たまま
場所福島県南相馬市原町区
本人清水沙也香さん(当時18歳・県立相馬農業高校3年)
最後に会った人物交際していたとされる男性(当時24歳)
2月23日ごろ男性の車が全焼した状態で見つかる(報道による)
2月25日男性が亡くなっているのが見つかる
3月3日南相馬署が公開捜索を開始
3月11日東日本大震災
4月18日南相馬市小高区のがれきの中で女性の遺体が見つかる
5月6日DNA型鑑定で清水さんと判明(遺体はすでに火葬)
死因・死亡時期不明

2月19日、「友達と会ってくる」

当時の報道によれば、清水さんは2月19日の午後6時ごろ、家族に「友達と会ってくる」と告げて外出した。スウェットにサンダルという軽装だった。2月21日になっても戻らなかったため、家族が南相馬署に届け出た。

清水さんはその夜、交際していたとされる男性と会っていた。男性は警察の事情聴取に対し、清水さんと市内で数時間会い、その後別れたと話したと報じられている。

行方不明の後に届いた「心配しないで」

2月下旬、清水さんの携帯電話から、複数の友人に「心配しないでほしい」という内容のメールが送られていたと報じられている。家族にも帰宅を知らせるような趣旨のメールがあったとされるが、清水さんは戻らなかった。

このメールを誰が、どこから、どのような状況で送ったのかは、公開されている情報からは分からない。

車の全焼と、男性の死

当時の時事通信の報道を転載した記録によれば、2月23日、男性の車が全焼した状態で見つかった。清水さんが行方不明になってから4日後のことである。

そして2月25日、男性が自宅近くで亡くなっているのが見つかった。日本経済新聞は3月4日、男性が県警の事情聴取を受けた後に自殺していたと報じ、県警が清水さんの行方不明との関連を調べていると伝えている。

誰が車を燃やしたのか、男性がなぜ亡くなったのか、男性が清水さんの行方について何を知っていたのかは、確認できる報道からは分からない。清水さんと最後に会っていた人物から、その後の経緯を聞くことはできなくなった。

公開捜索と、震災

3月3日、南相馬署は清水さんが事件や事故に巻き込まれた可能性もあるとして、顔写真などを公表し、公開捜索を始めた。その8日後の3月11日、東日本大震災が起き、南相馬市の沿岸部は大きな津波に襲われた。

清水さんの捜索は、震災の混乱の中で難航した。地域には新たに多くの行方不明者が生まれ、捜索そのものが震災前とはまったく違うものになった。

がれきの下から見つかった女性

震災から1か月余りたった4月18日、津波の行方不明者を捜していた警察が、南相馬市小高区の海岸から数百メートルのがれきの中で、若い女性の遺体を見つけた。報道によれば、清水さんの自宅から南へ約10キロ、福島第一原子力発電所から北へ約14キロの場所だった。

日本経済新聞は、遺体は下着姿で、体中に傷があったと報じている。警察は遺体の検視を行い、DNAの試料を採ったが、身元は分からなかった。県警は、遺体に事件性を疑わせる痕跡がなかったとして司法解剖を行わず、遺体は身元不明の震災犠牲者として南相馬市に引き渡され、火葬された。

5月6日、DNAが一致

5月6日、DNA型鑑定の結果、4月18日に見つかった女性が清水さんだと判明した。行方不明になってから約2か月半がたっていた。

遺体はすでに火葬されていたため、改めて司法解剖を行い、死因や亡くなった時期、細かな傷の有無などを調べることはできなくなった。県警は、死因も死亡時期も分からないとし、事件と事故の両面から捜査を続けると説明した。

作り直された死体検案書

後年の毎日新聞の報道を引いた記録によれば、遺体が見つかった当初は津波の犠牲者と判断され、死因を「溺死」、死亡推定時刻を「3月11日午後4時ごろ」とする死体検案書が作られていた。

しかし清水さんは震災の約3週間前から行方不明だった。身元が分かった後、同じ医師によって、死因を「不詳」、死亡時期を「2月中旬から3月中旬ごろ」とする検案書が改めて作られたと伝えられている。清水さんがなぜ亡くなったのかという最も大事な部分は、公的な書類の上でも空白のまま残った。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

福島県警南相馬署は、遺体が清水さんと判明した後も、交友関係を中心に事件と事故の両面から捜査を続けるとしていた。しかし、その後に新たな事実が公表されたという報道は確認できない。

残された謎

最大の謎は、清水さんがいつ、なぜ亡くなったのかである。2月19日の夜から間もなく亡くなったのか、3月11日まで生きていて津波に巻き込まれたのか、どちらの可能性も否定できない。

遺体の状態についての情報も食い違っている。日本経済新聞は「体中に傷があった」と報じた一方で、県警は事件性を疑わせる痕跡はなかったとして司法解剖をしなかった。津波に流された遺体には多くの傷がつくことがあり、県警はそう判断したのかもしれないが、その傷がいつ、どのようにしてついたものかは、火葬された今となっては確かめようがない。

行方不明の後に送られた「心配しないで」というメールも、清水さん本人が送ったのかどうかは分かっていない。

説1:2月中に事件に巻き込まれた

交際男性と会った夜を最後に足取りが途絶え、男性の車が燃え、男性が亡くなったという流れから、清水さんは2月中に何らかの事件に巻き込まれたのではないかという見方がある。インターネット上では、男性が関わっていたと考える声も多い。しかし、男性が清水さんの死に関わったことを示す事実は公表されておらず、男性はすでに亡くなっている。未詳録では、男性を犯人として扱わない。

説2:3月11日の津波で亡くなった

清水さんが2月以降もどこかで生きていて、3月11日に沿岸部で津波に巻き込まれたという見方もある。遺体が見つかった場所は海岸に近く、当初の検案書も溺死としていた。しかし、清水さんが3月11日まで生きていたことを示す目撃情報などは報じられていない。

未詳録の考察

この事案を調べていて、私が最も引っかかったのは、男性の死そのものより、その2日前に車が全焼した状態で見つかっていることだった。行方不明、事情聴取、車の火災、男性の死。これらが1週間足らずのうちに続いている。

時系列だけを見れば、一つの出来事として結び付けたくなる。けれど、車がなぜ燃えたのかが分からない以上、「証拠を消すためだった」という説明も事実にはできない。不自然に見える出来事が重なっているからこそ、分かっていることと、こちらが感じる違和感は分けて残しておくべきだと思う。

もう一つ、この事案のやりきれなさは、震災が二つの役割を果たしてしまったことにある。震災の行方不明者の捜索があったからこそ、清水さんは見つかった。その一方で、震災の混乱の中で身元不明の犠牲者として扱われたことで、本人だと分かる前に火葬され、死因を調べる最後の機会が失われた。震災は清水さんを見つけるきっかけになり、同時に真相から遠ざける一因にもなった。

事件がもたらした影響・結末

大規模災害のときの身元確認

震災の直後、警察は膨大な数の遺体の検視と身元確認に追われた。清水さんの遺体からDNAの試料が採られていたからこそ、火葬された後でも身元が分かった。一方で、震災の前から行方不明だった人の遺体が、震災の犠牲者として扱われる可能性があることも、この事案は示している。災害のときでも、行方不明の届け出が出ている人の情報と照らし合わせる仕組みの大切さを考えさせる。

事案は今も解明されていない

2026年10月現在、清水さんがいつ、なぜ亡くなったのかは分かっていない。2月19日から5月6日までに確認された出来事はいくつもあるが、それらを一本につなぐ証拠は残されていない。

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参考資料

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