未解決事件を調べていると、ときどき不思議な気持ちになることがあります。最後にその人が確認された時刻や場所が、驚くほどはっきり残っている事件があるのです。
何時何分のバスに乗ったのか。何時ごろに店を出たのか。どこで誰に見られたのか。そこまでは分かっているのに、その次の一歩だけが、どうしても分からない。
この特集では、未詳録に記録している事件・事案の中から、最後の足取りがはっきり残っている6件を集めました。6件に共通する犯人や原因があるわけではありません。それに、最後に確認された時刻と、何かが起きた時刻が同じとは限らないのです。そのことを頭の片隅に置きながら、読んでいただければと思います。
最後の足取りを残したのは誰か
6件を並べてみて、まず目についたのは、最後の足取りを残したのが「誰」なのか、あるいは「何」なのかが、事件ごとにまるで違うことでした。
| 年 | 人物 | 最後の足取りを残したもの | その後 |
|---|---|---|---|
| 1969年 | 庄山仁くん(14歳) | 本人が書いたとされる手紙 | 今も消息不明 |
| 1999年 | 茂原市の宮司(56歳) | 午前1時ごろに出た店 | 約7時間後、神社の近くで発見 |
| 2001年 | 千田麻未さん(16歳) | 防犯カメラとバス | 今も行方不明 |
| 2004年 | 和光市の女性看護師(78歳) | 自宅近くで見かけた同僚 | 約9日後、自宅で発見 |
| 2006年 | 及川正雄さん(59歳) | 自宅まで乗ったタクシー | 翌朝、自宅で発見 |
| 2011年 | 清水沙也香さん(18歳) | 最後に会っていた男性の説明 | 約2か月後に遺体で発見 |
防犯カメラのように機械が残した記録もあれば、同僚の目のように人の記憶に頼るものもあります。そして中には、本人が自分の手で書いた文字が最後の足取りになっている事件もあるのです。
1969年|庄山仁くん失踪事件
1969年2月23日、日曜日の午後2時ごろ。長崎県佐世保市の中学2年生、庄山仁くん(当時14歳)は、工作を途中にしたまま、「町へ行ってくる」という趣旨の言葉を残して、制服と制帽姿で家を出ました。午後2時半ごろには、市内のバス停で同級生に見られています。
その日の夕方、仁くんの制帽を持った男性が庄山家を訪ねてきました。そして翌日、仁くん本人の筆跡とされる手紙が届きます。手紙は、失踪した当日の午後6時ごろまでに佐世保市内で投函されていたとみられているのです。
人に見られた最後の姿よりも後に、本人が書いた文字が残っている。この事件の最後の足取りは、仁くん自身の手で残されていたことになります。そこから先、57年以上の時間は何も分かっていません。
1999年|茂原市町保宮司殺人事件
1999年8月1日の夜、千葉県茂原市で神社の宮司を務めていた56歳の男性は、知人たちとの飲み会の後、別の店でカラオケをして過ごし、日付が変わった午前1時ごろに店を出ました。
次に男性が見つかったのは、その約7時間後の午前8時ごろ。自宅のある神社のすぐ近くで、殺害されていました。近くには自転車が倒れていたといいます。店を出てから家にたどり着くまでのどこかで、何かが起きたのです。
2001年|室蘭女子高生失踪事件
2001年3月6日の午後、北海道室蘭市の高校1年生、千田麻未さん(当時16歳)は、アルバイト先のパン店へ向かうため家を出ました。午後1時30分ごろ、ショッピングセンターの防犯カメラに姿が残り、1時31分発のバスに乗っています。北海道警は、千田さんが午後1時40分ごろ、アルバイト先近くの「東通り」バス停で降りたとみています。
そこから先の足取りが、ぷっつりと途絶えました。2026年になって、当時の捜査幹部が、千田さんのPHSの位置がわずか4分で1キロ近く移動していたと明かしています。分刻みで足取りが追えているのに、その直後だけが25年間空白のまま。これほどもどかしい事案は、そう多くないのではないでしょうか。
2004年|和光市本町女性看護師殺人事件
2004年3月31日、埼玉県和光市に住む78歳の女性看護師は、昼ごろに勤務先を早退しました。午後5時40分ごろ、自宅の近くを歩いているところを同僚の看護師に見られています。それが、埼玉県警が公表している最後の目撃です。
約9日後の4月9日、女性は自宅のワンルームマンションで、首を絞められて亡くなっているのが見つかりました。ただし、県警は死亡推定時刻を公表していません。最後に見かけられた3月31日の夜に事件が起きたのか、数日後だったのかは、分からないのです。
2006年|一関市滝沢強盗殺人事件
2006年7月13日の夜、岩手県一関市の及川正雄さん(当時59歳)は、行きつけの店で酒を飲んだ後、午後10時半ごろにタクシーで自宅へ帰りました。両親と3人で暮らす家です。岩手県警は、及川さんが2階の寝室に入って着替えたとみています。
翌朝11時過ぎ、起きてこない及川さんを心配した母親が部屋に入ると、及川さんはベッドの上で亡くなっていました。部屋は荒らされ、財布などがなくなっていました。家族が同じ家で眠っていた夜に、誰が及川さんの部屋に入ったのか。20年たった今も分かっていません。
2011年|南相馬市女子高生失踪・死亡事案
2011年2月19日の午後6時ごろ、福島県南相馬市の高校3年生、清水沙也香さん(当時18歳)は、交際していたとされる男性に会うため家を出ました。男性は警察に、市内で数時間会い、その後別れたと話しています。
清水さんは帰らず、その後、男性の車が全焼した状態で見つかり、男性自身も亡くなりました。東日本大震災の後、清水さんは津波の行方不明者の捜索の中で見つかります。けれど、いつ、なぜ亡くなったのかは、今も分かっていないのです。
「分かっている最後」と「分からない最初」
6件を並べてみて私が感じたのは、未解決事件の多くが、「最後に何をしていたか」は分かっているのに、「その次の一歩」だけが分からないということでした。
バスを降りる。店を出る。家に帰る。家族に出かけると告げる。どれも、誰もが毎日しているごく普通の行動です。その普通の行動の直後から、記録がぷっつりと途切れている。空白は、茂原の事件のように数時間のこともあれば、和光の事件のように9日間のこともあり、室蘭や佐世保のように、何十年も続いているものもあります。
それから、「最後に会った人」や「最後に見た人」に目を向けたくなる気持ちも、正直に言えばよく分かります。けれど、最後に会ったというだけで、その人を事件に結び付けることはできません。最後に見かけられた時刻が、事件の起きた時刻とも限らないのです。ここは、未詳録がいつも気をつけている線でもあります。
今なら、防犯カメラや携帯電話の位置情報で、もっと多くの足取りが追えたかもしれません。でも、過去の事件の空白を、後から機械で埋めることはできません。だからこそ、当時は気にも留めなかった誰かの記憶が、今になって意味を持つことがあるのだと考えます。
それぞれの事件について心当たりのある方は、個別の記事に載せている警察の情報提供先を確かめてみてください。


コメント