1991年7月12日の朝。夏休みを前にした筑波大学のキャンパスで、清掃員の方が異変に気づきました。人文・社会学系A棟、7階のエレベーターホール。そこに、ひとりの男性が倒れていたのです。
筑波大学助教授の五十嵐一(いがらし・ひとし)さん、当時44歳。中東・イスラームの研究者で、サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』の日本語訳者でもありました。首や胸には、刃物による深い傷がありました。
事件はすぐに、ひとつの小説をめぐる国際的な対立と結びつけて語られるようになります。けれど、犯人が誰なのかは、35年たった今も分かっていません。2006年には公訴時効が成立し、犯人を罪に問う道も閉ざされました。
なお、この事件については、茨城県警による専用の公開ページがありません。県警の資料が中心となる通常の未詳録の記事と違い、ここでは当時の新聞報道と、それらを引いた記録をもとにたどります。報道や証言、推測は、それぞれ区別して記します。
事件の概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件名 | 五十嵐一さん殺害事件(「悪魔の詩」訳者殺害事件、筑波大学助教授殺害事件とも呼ばれる) |
| 発生 | 1991年(平成3年)7月11日夜〜12日未明(司法解剖では11日午後10時ごろ〜12日午前2時ごろと断定。資料により幅の取り方に違いがある) |
| 発見 | 1991年7月12日朝、清掃員が発見 |
| 場所 | 茨城県つくば市天王台1丁目、筑波大学筑波キャンパス 人文・社会学系A棟7階エレベーターホール |
| 被害者 | 五十嵐一さん(当時44歳、筑波大学助教授・翻訳家) |
| 被害の状況 | 首の切り傷(頸動脈を切断)と、胸・腹部などの刺し傷 |
| 現場の痕跡 | 五十嵐さんと異なるO型の血痕、カンフーシューズの足跡(27.5cm) |
| 管轄 | 茨城県警捜査一課・公安二課・つくば中央警察署(現・つくば警察署) |
| 公訴時効 | 2006年7月11日午前0時に成立 |
| 現状 | 犯人不明のまま時効が成立 |
五十嵐一さんと『悪魔の詩』
五十嵐一さんは、1947年6月10日に新潟市で生まれました。中東・イスラームを専門とする研究者で、筑波大学で教えながら、翻訳や著作を通してイスラーム世界の文化や思想を日本に伝えてきました。
その五十嵐さんが1990年に日本語訳を出版したのが、インド出身の作家サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』です。この小説は、預言者ムハンマドを思わせる描写を含むとして、一部のイスラーム教徒から強い反発を受けていました。
1989年2月には、イランの最高指導者ホメイニーが、ラシュディや出版に関わった者などに対する死刑を宣告する宗教令(ファトワー)を出します。世界各地で抗議や騒動が続くなか、日本での翻訳出版も大きな注目を集めていました。
五十嵐さんは、この本に翻訳者として深く関わった日本人の一人だったのです。事件を振り返る研究や報道では、五十嵐さんが脅迫めいた言動を受けていた可能性や、警察による保護を断っていたことが指摘されています。細部の真偽は資料によって異なりますが、身の危険がまったく予想されていなかったわけではない、という見方は早くからありました。
7月12日朝、エレベーターホールで
1991年7月12日の朝、筑波大学筑波キャンパスの人文・社会学系A棟で、清掃員が7階のエレベーターホールを訪れました。そこで見つかったのが、倒れている五十嵐さんだったのです。
司法解剖の結果、五十嵐さんが殺害されたのは、前日11日の午後10時ごろから12日の午前2時ごろの間と断定されました。ただし、回想を伝える資料のなかには、開始の時刻を午後8時ごろとするものもあり、正確な時刻の幅は資料によって少しずつ異なります。この記事では「11日の夜から12日未明にかけて」と記します。
傷は首に集中していました。首には左に2カ所、右に1カ所の切り傷があり、いずれも頸動脈を切断するほどの深さだったといいます。胸や腹などにも3カ所の刺し傷があり、その一部は肝臓にまで達していました。
襲われた場所は、研究室の中ではなく、誰もが通るエレベーターホールでした。深夜の大学の建物の中。犯人は人気のない時間帯を狙ったのか、それとも五十嵐さんの帰りを待っていたのか。公表された資料から、そこまでは分かりません。
現場に残された血痕と足跡
現場には、犯人につながる痕跡が二つ残されていました。一つは、五十嵐さんのものとは異なるO型の血痕。犯人が犯行のときにけがをして、自分の血を残したものと考えられました。もう一つは、カンフーシューズのものとされる足跡で、サイズは27.5センチでした。
逃げた経路も特徴的でした。犯人はエレベーターを使わず、階段で3階まで下り、非常階段から外へ逃れたとみられています。建物の構造を知っていたのか、人の目に触れるのを避けたかったのか。どちらとも決められませんが、少なくとも、慌ててエレベーターに飛び乗るような逃げ方ではなかったことになります。
捜査を担ったのは、茨城県警の捜査一課と公安二課、そしてつくば中央警察署でした。通常の殺人事件の捜査に公安の部門が加わっていること自体、この事件が当初から「国際的な背景のある事件」として扱われていたことを示しています。
捜査と謎・数々の説
警察の動向
県警は事件の直後から、現場の痕跡と五十嵐さんの交友関係、そして『悪魔の詩』をめぐる国際的な対立という、三つの方向から捜査を進めたと報じられています。事件から1年後の1992年7月には、学内で中東系の男2人が下見をしていたのではないか、という見方を伝える報道もありました。ただ、その人物たちが事件とどう関わるのかは、最後まで裏付けられていません。
犯人の特定には至らないまま月日が流れ、事件は発生から15年となる2006年7月11日午前0時、殺人罪の公訴時効を迎えます。読売新聞は時効の成立を「容疑者不詳で書類送検へ」と伝え、朝日新聞は県警が捜査を続ける方針を示したと報じました。その後、つくば中央警察署は、証拠品として保管していた五十嵐さんの遺品を、妻の雅子さんに返還しています。
残された謎
最大の謎は、言うまでもなく犯人が誰かです。犯人自身のものとみられるO型の血痕がありながら、照合すべき相手は現れませんでした。27.5センチの靴の足跡も、持ち主にはつながっていません。
もう一つ、よく語られるのが、五十嵐さんの机の引き出しから見つかったというメモです。壇ノ浦の戦いを詠んだ四行詩で、最後の一節が、フランス語では「階段の裏で殺される」と書かれていたと報じられました。五十嵐さんが危険を感じ取っていたのではないか、という憶測を呼びましたが、それが事実かどうかは確かめようがありません。事件の不気味さを象徴する話として語られることの多いエピソードですが、捜査を動かす証拠にはならなかったのです。
動機についても、確かめられたものはありません。翻訳への報復だったのか、別の理由があったのか。事件の性格から、翻訳との関わりが強く意識されてきましたが、それを公式に裏付ける結論は今も出ていないのです。
説1:国外の組織による犯行という見方
事件の直後から根強く語られてきたのが、イランの革命防衛隊など、国外の組織が関わったという見方です。元CIA職員のケネス・ポラックは著作の中で、革命防衛隊の対外工作を担う特殊部隊「ゴドス軍」による犯行を示唆しました。人目につきやすいエレベーターホールで襲ったのは、見せしめのためだったのではないか、というのです。
イランの新聞が事件を好意的に論評したことも、当時の報道で伝えられました。ただし、これらはすべて状況からの推測や、第三者の見方にすぎません。イランの国家機関や特定の組織が犯行を行ったと、公式に裏付けられたことは一度もありません。未詳録では、この見方を当時から有力視されてきた説として紹介するにとどめます。
説2:留学生が関わったとする報道
もう一つの説は、週刊誌の報道から広がったものです。『週刊文春』は1998年、治安当局が事件当時、筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人の学生を「容疑者」としてマークしていた、とする記事を掲載しました。学生は、遺体が発見された当日の昼過ぎに日本を出国していたといいます。
作家の麻生幾は、この捜査が外交への配慮から打ち切られたのではないかと著書で書き、大きな反響を呼びました。ただし、当局が公式に認めた話ではなく、その学生が事件に関わった証拠が示されたわけでもありません。実在の個人につながる話である以上、未詳録では「そういう報道があった」という事実までにとどめ、特定の人物を犯人視する書き方はしません。
未詳録の考察
五十嵐一さんの事件がほかの未解決事件と大きく違うのは、動機の方向だけが、あまりにも早くから世界中に知れ渡っていたことです。宗教令が出され、各地で騒動が起きていた。だからこそ「翻訳への報復」という物語が先に立ち、捜査も世論も、その枠組みに引っ張られ続けたように思います。
けれど、枠組みが強い事件ほど、視野は狭くなりがちです。現場に残されたのは、O型の血痕と27.5センチの靴跡という、ごく具体的な痕跡でした。それが誰のものなのかという一点は、国際情勢の大きな物語とは別に、地道な照合でしか解けません。その照合の機会は、時効とともに失われてしまいました。
五十嵐さんは、翻訳という仕事を通じて、遠い世界の言葉を日本の読者に届けようとした研究者でした。その仕事のただなかで命を奪われたという事実は、時効が成立しても変わりません。犯人が誰であれ、動機が何であれ、一人の学者が大学の建物の中で殺害され、誰も裁かれることがなかった。この重さこそが、この事件を記録し続ける理由だと考えます。
事件がもたらした影響・結末
2006年7月11日、時効の成立
事件が起きた当時、殺人罪の公訴時効は15年でした。2005年の法改正で25年に延びましたが、改正より前に起きた事件には、従来の15年がそのまま当てはまります。五十嵐さんの事件は2006年7月11日午前0時、誰が起訴されることもないまま、時効を迎えました。
もっとも、犯人が国外に滞在している間は時効が進まないため、「犯人が外国人であれば、時効はまだ完成していないはずだ」という指摘もありました。それでも県警は遺品を遺族に返還するなど、刑事手続きのうえでは区切りをつけています。この事件は、時効を迎えた事件として記録されることになりました。
時効廃止のあとも、戻らない答え
2010年4月27日、殺人罪などの公訴時効は廃止されました。札幌信金OL殺人事件の遺族らが声を上げ続けた末の改正でした。けれど、この改正が当てはまるのは、施行の時点でまだ時効を迎えていなかった事件だけです。2006年に時効が成立していた五十嵐さんの事件に、新しい決まりがさかのぼって適用されることはありませんでした。
それでも、この事件は語られ続けています。2022年にはアメリカでラシュディ自身が襲撃され、重傷を負う事件がありました。『悪魔の詩』をめぐる暴力が終わっていないことを、世界に思い出させる出来事でした。2025年には文春オンラインが回想記事を、2026年1月には日刊ゲンダイが関係者の証言を伝えています。発生から35年、時効も過ぎた事件が、今も新しい記事で取り上げられ続けているのです。
情報提供先
この事件は、2006年7月11日に公訴時効が成立しています。そのため現在、警察が本件についての情報提供を呼びかけているわけではありません。ここでは記録として、事件当時の管轄だった警察署の、現在の一般連絡先を参考に掲載します。
| 窓口 | 電話 |
|---|---|
| 茨城県警察本部 | 029-301-0110 |
| つくば警察署 | 029-851-0110 |
※事件当時の管轄はつくば中央警察署で、2020年に統合され、現在はつくば警察署となっています。上記の連絡先は、本件専用の窓口ではありません。
関連記事
- 時効を迎えた事件、追い続けられる事件|2010年4月27日が分けた5つの未解決事件の運命
時効廃止の前に時効を迎えた事件と、改正によって追い続けられるようになった事件を比べた特集。五十嵐さんの事件が置かれるのは、前者の側です。 - 札幌信金OL殺人事件|名前も指紋も分かっている男は、なぜ36年見つからないのか
指名手配された男が見つからないまま、2005年に時効を迎えた事件。時効のあとも遺族が闘い続けた記録です。 - つくば市東平塚高齢夫婦殺人事件|元日に見つかった夫婦とベランダの血痕
同じつくば市で起きた未解決事件。こちらは時効がなく、今も県警が情報提供を求めています。 - 五霞町女子高生殺人事件|草加の夏祭りから消えた15歳、23年未解決の理由
同じ茨城県の未解決事件。夏祭りの夜に消えた15歳が、県境を越えた用水路で見つかりました。
参考資料
- Wikipedia「悪魔の詩訳者殺人事件」
発生の日時と場所、司法解剖による死亡推定時刻、首と胸・腹部の傷の状況、O型の血痕とカンフーシューズの足跡、階段を使った逃走経路、管轄、時効成立の日時、遺品の返還を確認。脚注には当時の読売・朝日・毎日各紙の報道が引かれている。 - Wikipedia「五十嵐一」
五十嵐さんの生年月日(1947年6月10日)と新潟市出身であること、研究者・翻訳家としての経歴、1990年の『悪魔の詩』日本語訳の出版を確認。 - 文春オンライン(2025年、回想記事)
死亡推定時刻について、午後8時ごろから午前1時という別の幅が示されていることを確認。本文では時刻に幅を持たせて記した。 - 日刊ゲンダイ(2026年1月9日)
事件から35年近くがたった今も、関係者の証言が報じられ続けていることを確認。 - 警察庁「平成23年版 犯罪被害者白書」コラム5 公訴時効制度の改正について
2010年の改正で、人を死亡させた罪のうち死刑に当たるものの公訴時効が廃止されたこと、すでに時効が成立していた事件には適用されないことを確認。


コメント