札幌信金OL殺人事件|名前も指紋も分かっている男は、なぜ36年見つからないのか

1990年代

1990年12月の、雪がちらちらと舞う朝でした。「遅刻する!」と言って家を飛び出した娘の後ろ姿を、母親はトイレの窓から見送っています。コートの下でスカートをひらひらさせながら、コツコツと靴音を響かせて走っていく姿。それが、母親の見た娘の最後の姿になりました。

札幌信用金庫に勤めていた生井宙恵(なまい・みちえ)さん、当時24歳。12月19日の夜、仕事帰りに行方が分からなくなり、3日後、自宅近くの民家の軒下で、雪に埋もれた姿で見つかりました。警察は近所に住む22歳の男を殺人の疑いで全国に指名手配しますが、男は見つからないまま、2005年に時効を迎えます。

けれど、家族の闘いはそこで終わりませんでした。母親と妹は、時効のあとに男を相手取って裁判を起こし、約7500万円の賠償を命じる判決を勝ち取ります。ところが、その判決は一円のお金にも変わらないまま、10年ごとに権利が消えるおそれにさらされてきました。札幌信金OL殺人事件は、時効が過ぎても終わらない事件なのです。

事件の概要

項目内容
事件名札幌信金OL殺人事件(札幌信金女性職員殺人事件)
行方不明1990年12月19日夜、勤務先からの帰宅途中
遺体発見1990年12月22日午前、自宅近くの民家の軒下
場所北海道札幌市西区西野
被害者生井宙恵さん(当時24歳、札幌信用金庫職員)
死因首の刺し傷による失血死
指名手配1990年12月29日、近所に住む22歳の男を殺人容疑で全国指名手配
公訴時効2005年12月19日に成立
民事判決2008年3月31日、札幌地裁が男に7497万2779円の賠償を命令
再提訴2017年3月23日、札幌地裁が賠償請求権の存在を確認
現在男の行方は分からず、賠償も支払われていない

帰ってこなかった12月19日の夜

宙恵さんは札幌信用金庫(現在の北海道信用金庫)の職員でした。当時の新聞報道をまとめた記録によると、12月19日は午後8時30分ごろに仕事を終え、一緒に退社した同僚と地下鉄南北線の大通駅の近くで別れています。いつもなら、そこからバスで西区の自宅へ帰るはずでした。

その夜、宙恵さんは家に戻りませんでした。母親の澄子さんは翌20日の午後、警察に届け出ます。大通駅で同僚と別れてから、宙恵さんがどの道を通って、どこで何があったのか。その間の足取りは、今もはっきりとは分かっていません。

3日後、雪の下で見つかった宙恵さん

12月22日の午前、自宅近くの民家の軒下で、雪に埋もれた宙恵さんが見つかりました。首の左右に深い刺し傷があり、死因は失血死とされています。凶器は小型の鋭い刃物とみられ、現場には争った跡が残されていました。帰宅途中に襲われ、必死に抵抗したのではないかと考えられています。

行方が分からなくなってから見つかるまでの3日間、宙恵さんは家のすぐ近くで、雪の下にいたことになります。すぐそばにいたのに見つけてあげられなかった家族の思いは、想像するに余りあります。

通帳に残された指紋と、姿を消した後輩

現場の近くからは、宙恵さんの帽子や靴、ボストンバッグが見つかりました。そのバッグに入っていた預金通帳から検出されたのが、近所に住む無職の男、長田良二の指紋でした。1968年生まれで当時22歳。宙恵さんの出身高校の2年後輩にあたる人物です。

長田は事件のあと、行方をくらませていました。自宅からは、逃げることを告げるような内容のメモも見つかったと報じられています。北海道警察は12月29日、長田を殺人の疑いで全国に指名手配しました。

その後も「似た人を見た」という情報が寄せられるたび、警察は東京や沖縄まで確認に向かいましたが、いずれも本人ではありませんでした。親族は200万円の懸賞金を出して情報を呼びかけています。それでも、長田の足取りは一度もつかめないまま、年月だけが過ぎていきました。

2005年12月19日、15年の時効

事件が起きた1990年当時、殺人罪の時効は15年でした。2005年1月に施行された法改正で25年に延びましたが、改正より前に起きた事件には、それまでの15年がそのまま当てはまります。2005年12月19日午前0時、事件は時効を迎えました。

宙恵さんの父親は、事件の翌年に亡くなっていました。夫を失い、時効で国による捜査の支えも失った澄子さんについて、週刊女性の記事は「敵討ち」をする立場になったと書いています。指名手配された男が一度も法廷に立たないまま、刑事事件としての時計は止まってしまいました。

時効のあとに起こした裁判

2007年9月28日、澄子さんと宙恵さんの妹は、長田を相手取って約1億340万円の損害賠償を求める裁判を札幌地裁に起こしました。遺族は「せめて民事責任を問い、長田が犯人であることを社会に残したい」と語っています。澄子さんは週刊女性の取材に、「決してお金が欲しいというわけではない」とも話しました。

長田の居場所は分からないため、裁判の書類は、裁判所の掲示板に掲げることで届けたとみなす「公示送達」という方法で送られました。2008年2月25日の最初の口頭弁論で、審理はその日のうちに終わります。そして3月31日、札幌地裁は長田の責任を認め、母親と妹に計7497万2779円を、年5%の遅延損害金とともに支払うよう命じました。

この判決は、刑事裁判で有罪を言い渡したものではありません。本人が一度も反論しないまま、遺族の主張と証拠をもとに、民事上の責任が認められたものです。それでも、時効で刑事の道を絶たれた家族にとっては、裁判所が長田の責任を認めたという、ただ一つの公的な記録になったのです。

「紙切れ同然」の判決と、10年ごとの裁判

判決は出ても、相手はどこにいるのか分かりません。差し押さえる財産も見つからず、賠償金が支払われることはありませんでした。2020年の週刊女性の記事は、重大な事件の被害者が賠償を受け取れない現実を、「有罪判決が出ても紙切れ同然」という見出しで伝えています。

さらに、判決で認められた権利にも時効があります。当時の民法では、確定判決で認められた権利は10年で消えてしまいます。そこで遺族は2017年2月7日、権利を守るために同じ相手を再び訴えました。長田側は3月16日の口頭弁論にも姿を見せず、札幌地裁は3月23日、遺族の賠償請求権が今もあることを確認する判決を言い渡しています。宙の会によれば、この再提訴には印紙代などで約100万円がかかりました。賠償を一円も受け取れていない遺族が、権利を守るためにまたお金を払う。これほどやりきれない話があるでしょうか。

宙の会は、再提訴をしなければ2027年に賠償請求権が消えてしまうと訴えています。法務省の案内によると、確定判決を得たあとは、新たに裁判を起こさなくても、財産開示手続などを申し立てることで時効を更新できる道もあります。ただ、相手の居場所も財産も分からないこの事件で、そうした手続きがどこまで役に立つのかは、また別の問題です。

捜査と謎・数々の説

警察の動向

北海道警察は、事件の直後から長田を被疑者として全国に手配し、15年にわたって行方を追いました。しかし身柄を確保できないまま時効を迎え、刑事事件として長田を罪に問う道はなくなっています。2010年に殺人罪の時効は廃止されましたが、すでに時効を迎えていたこの事件には、さかのぼって当てはまりません。

残された謎

いちばん大きな謎は、長田が今どこにいるのかです。生きているのか、すでに亡くなっているのかさえ、公には分かっていません。宙恵さんが大通駅で同僚と別れてから、どこで襲われたのかという細かな経緯も、刑事裁判が開かれなかったために、本人の口から語られることはありませんでした。

説1:名前を変えて、どこかで暮らしている

ネット上でよく語られるのが、別の名前を使って国内のどこかで暮らし続けているのではないかという見方です。指名手配された人が長い年月を逃げ延びた例は、ほかの事件にもあります。事件当時22歳だった長田は、今では50代の後半です。ただ、それを裏付ける具体的な情報が公になったことはありません。

説2:事件後まもなく亡くなっている

もう一つ、ネット上で語られるのが、逃げることをほのめかすメモを残して姿を消したあと、早い段階で亡くなったのではないかという見方です。これだけ多くの情報が寄せられながら、一度も確かな目撃につながらなかったことが、その根拠として挙げられます。もっとも、これも推測の域を出ず、遺体が見つかったという事実はありません。

未詳録の考察

この事件は、誰が疑われているのか分からない事件ではありません。指紋が残り、名前が分かり、全国に手配され、民事裁判では責任まで認められました。それなのに、本人だけがどこにもいない。未解決事件の中でも、ここまで「答えに手が届きそうで届かない」事件は珍しいのではないでしょうか。

そして、時効のあとに遺族が背負ったものの重さに、言葉を失います。裁判に勝っても一円も支払われず、10年たてばその権利すら消えてしまう。権利を守るために、加害者ではなく遺族がまたお金を払い、裁判所に足を運ぶ。逃げた側ではなく、残された側に負担がのしかかる仕組みは、どこかおかしいと考えます。

澄子さんは取材に、「どうして娘を連れて行ったのですか?」という問いを語っています。雪の朝に窓から見送った娘の後ろ姿を、母親は30年たっても鮮明に覚えていました。その問いに答えるべき人は、今もどこかにいるかもしれないのです。

事件がもたらした影響・結末

宙の会と、公訴時効の廃止

2009年2月28日、殺人事件の遺族たちが「宙(そら)の会」を結成しました。すでに時効を迎えていた生井さんの家族も、その輪に加わっています。会は「時効制度を廃止し、人を殺害したら厳刑に至る条理を確立していただきたい」と訴え、2009年6月には4万5000通、2010年3月には2万8471通、あわせて7万3471通の署名を法務大臣に届けました。

2010年4月27日、殺人罪などの公訴時効を廃止する改正法が成立し、その日のうちに施行されました。この改正は、施行の時点でまだ時効を迎えていなかった事件にも当てはまり、多くの未解決事件で捜査が続けられるようになります。自分たちの事件にはもう間に合わなくても、ほかの家族に同じ思いをさせたくない。遺族たちの訴えは、法律という形で実を結んだのです。

「逃げ得」を許さない仕組みへ

時効の廃止のあと、宙の会は、賠償判決が守られない問題にも力を注いでいます。会が求めているのは、殺人事件の賠償判決が確定したら、国がいったん賠償を肩代わりし、そのあと国が加害者に請求する「代執行制度」です。当面の願いとして、殺人事件の賠償判決は再提訴しなくても効力を保てるよう、法律を改めることも求めています。

2026年3月7日の第17回総会でも、会は法務大臣あてに、代執行制度の確立と、賠償判決のあとの再提訴や請求権が消えてしまう規定の見直しを求める陳情書を出しました。まだ制度として実現したわけではありません。宙恵さんの事件が投げかけた「判決に勝っても救われない」という問題は、今もそのまま残っています。

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参考資料

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