水口伶太さん行方不明事件|最後の電話から10年、下関で見つかった財布と、待ち続ける母

夕暮れの下関の人工島の岸壁と対岸の明かり(水口伶太さん行方不明事件のイメージ) 2010年代

2016年11月24日、木曜日の夜遅く。広島市内で一人暮らしをしていた広島大学4年生の水口伶太(みずぐち・りょうた)さん、当時22歳のもとへ、母・小百合さんから何度も電話がかかっていました。何度かけても切られてしまい、ようやくつながった電話の向こうで、伶太さんは泣きながら言葉を絞り出したといいます。その直後、携帯電話の電源が落ち、二度と連絡は取れなくなりました。

8日後の12月2日、山口県下関市垢田(あかだ)地区の人工島で、伶太さんの財布が見つかります。免許証、保険証、学生証。身分を示すものは、ひと通りそろっていました。けれど、持っていたはずの携帯電話とリュックは、どこにもありませんでした。本人の姿も、ありません。

あれから10年。伶太さんがどこへ行ったのか、今も分かっていません。山口県警は公表手配を続け、母はSNSで情報を呼びかけ続けています。この事案で起きたことは、事件なのか、事故なのか、それとも本人の意思によるものなのか。何ひとつ、確定していないのです。

この記事では、山口県警の公表資料を軸に、母・小百合さんが報道の取材に語った証言をもとにたどります。証言に基づく部分は、そのことが分かるように記します。

事件の概要

項目 内容
通称 水口伶太さん行方不明事件
行方不明者 水口伶太(みずぐち・りょうた)さん(当時22歳、広島大学4年生、広島市内で一人暮らし)
行方不明日 2016年(平成28年)11月24日(木)
最後の目撃 下関市彦島(山口県警の公表資料による)
最後の連絡 同日午後11時30分ごろ、母・小百合さんとの電話
発見された所持品 財布(免許証・保険証・学生証入り)。2016年12月2日、下関市垢田地区の人工島で発見
見つかっていない物 携帯電話、赤とグレーのリュックサック
身体的特徴 身長180cm、やせ型、血液型A型、近視用の銀縁眼鏡(山口県警の公表資料)
当時の服装 上衣は黒色コート、下衣は黒色ズボン(山口県警の公表資料)
公表手配 山口県警「下関H28-149」
現状 行方不明のまま。生死不明
情報提供先 下関警察署 生活安全課(083-231-0110)

広島大学の4年生だった

伶太さんは、小百合さんの長男で、一人息子でした。広島市内で一人暮らしをしながら広島大学に通い、行方不明になった当時は4年生でした。

小百合さんは伶太さんについて、デイリースポーツの取材に「とても寂しがりやで、石橋を叩いて叩いて壊すタイプ。冒険とかはしないタイプ」と語っています。感情をあまり表面に出さない子だった、ともいいます。

慎重で、無茶をしない。そんな人柄として伝えられる青年が、なぜその日を境に姿を消したのか。その理由は、今も分かっていません。

行方不明になった11月24日は、木曜日でした。大学にもアルバイト先にも出るはずだった平日です。その日の昼、伶太さんはどちらにも休む連絡を入れていました(母の証言)。普段どおりの生活の流れのなかで、その日だけが、ぽっかりと空白になっているのです。

最後の連絡

行方不明になる約2週間前の11月10日、伶太さんは5年間交際していた彼女と別れていました。これは、母・小百合さんが報道に語った経緯です。その後、失踪の直前には、下関市内の公園で友人に「彼女と別れたので死にたい」と相談していたとも伝えられています。これらはいずれも、周囲の人の証言として報じられた内容です。その言葉が伶太さんのその後を直接示すわけではありません。

11月24日の昼ごろ、伶太さんは大学とアルバイト先に連絡を入れて休んでいたようです(母の証言)。そして午後11時30分ごろ。小百合さんが何度も電話をかけても、つながっては切れてしまうことが続いたといいます。やっとつながった先で、伶太さんは泣きながら「生きてても仕方ない」と話したといいます。

落ち着かせようとする母に、それ以上の言葉は返ってきませんでした。やがて携帯電話の電源が落ち、そのまま音信不通になったのです。

山口県警の公表資料には、行方不明になった状況として「下関市彦島での目撃を最後に行方不明となっておられます」とあります。伶太さんは、この時期に下関に来ていたことがうかがえます。ただ、その目撃がいつ、どのような状況だったのかは公表されていません。最後の電話の向こうで伶太さんがどこにいたのかも、分かっていないのです。

財布の発見

小百合さんは、警察に行方不明者届を出しました。数日後の12月2日、金曜日。下関市垢田地区にある人工島で、伶太さんの財布が見つかります。中には免許証や保険証、学生証が入っていました。

財布は見つかったのに、本人は見つからない。そして、携行していたはずの赤とグレーのリュックと、最後の連絡に使われた携帯電話は発見されませんでした。財布だけが、人気のない人工島に残されていた。その理由は、今も説明がついていません。

財布の発見は、行方不明から8日後のことでした。最後の電話から財布の発見までの間に、伶太さんがどこにいたのかを示す公表情報はありません。財布がいつ、人工島に置かれることになったのかも、分かっていないのです。

小百合さんは、人工島の海のことで海上保安庁に問い合わせ、下関から海を隔てて近い九州方面の警察にも連絡を取ったといいます。けれど、手がかりは得られませんでした。伶太さんのパソコンについても、業者に依頼してロックを解除し、中を確かめてもらったそうです。そこに遺書と呼べるようなものはなく、行方不明になった理由は依然として分からないままでした(いずれも母の証言による経緯です)。

最後の目撃があった彦島も、財布が見つかった垢田の人工島も、どちらも下関の海に面した地区です。伶太さんの足取りの記録は、この街の海沿いに集中しています。ただ、それが何を意味するのかは、記録だけからは読み取れません。

捜索と情報提供の呼びかけ

山口県警は、伶太さんを公表手配の対象として公表しています。県警の「行方不明者に関する情報提供のお願い」のページには、「下関H28-149 水口伶太さん(当時22歳)」として現在も掲載され、下関警察署が作成した手配資料(平成28年第149号)が公開されています。そこには、身長180センチ、やせ型、血液型A型、近視用の銀縁眼鏡、黒色コートに黒色ズボン、赤とグレーのリュックサック携行といった特徴が記されています。

小百合さんもまた、探偵に依頼したり、SNSで情報を募ったりと、できる限りの手を尽くしてきたといいます。デイリースポーツの特集(2023年)では、小百合さんがX(旧Twitter)のDMで情報を受け付け続けていることが伝えられました。それでも、有力な情報は寄せられていないといいます。

手配や報道で使われている伶太さんの写真は、成人式のときに撮影されたものだといいます。小百合さんが情報提供の際に挙げている特徴としては、左手首に大きな傷があること、右耳の後ろにほくろがあることも伝えられています。身長180センチという長身と合わせて、目撃の手がかりになる情報です。

残された謎

最大の謎は、伶太さんがその後どうなったのかが、まったく分からないことです。考えられる可能性は、いくつかあります。海に近い場所で、事故に遭ったのかもしれない。事件に巻き込まれたのかもしれない。あるいは、自らの意思で、誰にも行き先を告げずに姿を消したのかもしれない。

けれど、公表されている情報の中に、どれか一つを裏づけるものはありません。

財布の発見場所も、疑問を深めます。免許証も保険証も学生証も入った財布は、身分を証明するものを集めた、いわば生活の核です。それが人工島に残されていたことと、携帯電話が見つかっていないことの組み合わせは、どの可能性に照らしても、すんなりとは説明がつきません。

携帯電話が見つかっていないことも、重い点です。現代の行方不明では、携帯電話は足取りを追ううえで最も手がかりの多い持ち物です。その電話は、最後の連絡の直後に電源が落ち、実物も見つかっていない。電源が落ちたあとの足取りをたどる材料は、公表されている範囲では、ほとんど残されていないのです。

もう一つ、伶太さんが広島から下関へ来ていた経緯も、はっきりしません。

彦島で目撃されたという県警の記録。友人への相談が下関市内の公園だったという証言。少なくとも行方不明の前後に下関にいたことはうかがえますが、いつ、どうやって移動し、どこへ向かおうとしていたのかは、公表されていないのです。

未詳録の考察

この事案の難しさは、手がかりがまったくないことではありません。最後の電話の内容も、財布の発見場所も、彦島での目撃も、それぞれは具体的な記録として残っています。けれど、その点と点をつなぐ線が引けないまま、10年が過ぎました。

母の証言として伝えられる失恋と落ち込みは、この事案をたどるうえで避けて通れない経緯です。ただし、それはあくまで失踪前の伶太さんの様子であって、その後に何が起きたのかを決める材料にはなりません。電話での一言だけをもって結末を決めつけることは、残された家族にとっても、伶太さん本人にとっても、正確な記録のあり方ではないと考えます。

財布という一点に目を向けると、この事案の奇妙さが際立ちます。免許証も保険証も学生証もそろった財布が、なぜ人工島にあったのか。本人が落としたのか、誰かが置いたのか、それすら分かりません。けれど「下関の人工島に、本人の財布があった」という事実だけは動きません。その一点を起点に、誰かの記憶が呼び起こされるかどうかが、今もなお、この事案の行方を左右しています。

生死が分からない、という状態は、家族にとって終わりのない時間です。見つかっていない以上、この事案は「過去の出来事」にはなりません。山口県警の手配が今も続いているという事実そのものが、そのことを示しています。

その後・現在

2023年7月20日、伶太さんは29歳の誕生日を迎えた計算になります。小百合さんはデイリースポーツの取材に、「ただただ生きていることを信じて、待ち続けています」と語りました。「性別が変わっていても、家庭を持っていても驚かないから連絡ください」という言葉も残されています。「会うまで死ねません」という言葉も、同じ取材の中で語られました。

2026年11月24日で、行方不明から10年になります。伶太さんは32歳になっているはずです。山口県警の公表手配の一覧には、今も伶太さんの名前が載り続けています。

情報提供先

山口県警は、水口伶太さんに関する情報提供を今も呼びかけています。2016年11月下旬ごろ、下関市彦島や、垢田地区の人工島の付近で、身長180センチほどの痩せ型の男性を見かけた記憶がある方、赤とグレーのリュックを覚えている方は、どんな小さなことでも、下関警察署へ連絡してみてください。

窓口 電話
山口県警察 下関警察署 生活安全課 083-231-0110

山口県警察「行方不明者に関する情報提供のお願い」
伶太さんを含む、県内の行方不明者の一覧が掲載されています。母の小百合さんも、X(@0_sayuri_0)のDMで情報を受け付けています。

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参考資料

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