1994年9月14日、水曜日の早朝。名古屋市千種区にあるマンションの10階で、ひとりの男性が血を流して倒れているのが見つかりました。住友銀行(現在の三井住友銀行)の名古屋支店長でした。男性は自室の前のエレベーターホールで、壁に右肩をもたれるように座り込んでいたといいます。銃弾は右目の上から入り、左の後頭部へと抜けていました。
自室のドアは開き、配達された新聞が放り出されていました。けれど、室内に荒らされた様子も、誰かをもてなした様子もなかったといいます。そしてこのマンションは、正面玄関が完全オートロックで、すべての扉は内側からしか開かない造りでした。当日の朝6時半ごろに新聞が配達されてから、誰かが出入りした形跡はなかったとされています。
誰が、どうやって10階までたどり着き、支店長を撃ったのか。2か月後、事件で使われた銃と線条痕の一致する短銃を持った男が逮捕されます。ところが警察は、この男を殺人の罪で立件することを見送りました。撃ったのが誰なのかは決まらないまま、事件は2009年に時効を迎えています。
事件の概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 通称 | 住友銀行名古屋支店長射殺事件 |
| 発生日時 | 1994年(平成6年)9月14日(水)早朝 |
| 発見 | 同日早朝、名古屋市千種区の自宅マンション10階、自室前のエレベーターホール |
| 被害者 | 住友銀行名古屋支店長(当時)。氏名と年齢は当時の新聞報道でも明かされておらず、本稿でも扱わない |
| 被害の状況 | 銃弾が右目上から左後頭部を貫通。ほかに外傷はなかった |
| 現場の状況 | マンションは完全オートロック。朝6時半ごろの新聞配達以降、誰かが出入りした形跡はなかった |
| 捜査 | 愛知県警察千種警察署が管轄 |
| 現状 | 殺人罪で起訴された者はなく、2009年9月14日に公訴時効が成立。未解決 |
エレベーターホールで見つかった支店長
一橋文哉の著書『マネーの闇』によると、支店長はエレベーターホールの壁に右肩をもたれ、右足を折り、左足を投げ出すように座った姿で見つかりました。銃弾が右目の上から左の後頭部を貫通していたほか、外傷はなかったといいます。
開いていた自室のドアの前には、配達された新聞が放り出されていました。室内に荒らされた形跡はなく、接客をしたような様子もありませんでした。支店長は部屋を出た直後、あるいは部屋に戻ろうとしたところで、出会い頭に撃たれたのでしょうか。公表されている情報だけでは、その場面を確かめることはできません。
被害に遭ったのは、大手都市銀行の支店長という立場の人物でした。早朝の自宅前で、ピストルで撃たれる。物取りの犯行とは考えにくい状況が、この事件を長く人々の記憶に残すことになります。
「密室」と呼ばれたマンション
この事件が「密室」の謎と呼ばれるのは、建物の造りのためです。マンションの扉はすべて内側からしか開かず、正面玄関は完全オートロックでした。鍵を持たない者が中へ入るには、住人にインターホンで連絡し、内側から開けてもらうほかありません。
犯行当日の朝も、6時半ごろに新聞が配達されてから、誰かが出入りした形跡はなかったと報じられています。新聞配達のあとに外部の人間が入ったのなら、その痕跡がどこかに残るはずでした。逆に、もし犯人がその前から建物の中にいたのだとしたら、どうやって入り、どうやって出たのかが分かりません。
支店長が住む10階まで、犯人はどうやって来たのか。そして撃ったあと、どうやって姿を消したのか。この問いには、今も答えがありません。
支店長が歩んできた場所
被害者の経歴については、一橋文哉の著作などに詳しい記述があります。それによれば、支店長は住友銀行の行内で、磯田一郎会長の退陣を推し進める側にいた人物とされます。支店長として歴任したのは、パチンコ業者や水商売との取引が多いとされた梅田北口支店、不正融資の案件を多く抱えた京都・四条支店、暴力団系のフロント企業の口座が多いとされた大阪駅前支店、闇金融業者などが多く利用した船場支店などでした。
最後に支店長を務めた名古屋支店も、イトマン関連の案件を除いても、多数の不良債権を抱えていたといいます。バブル崩壊の後始末に追われ、行内の対立も表面化していた時代の住友銀行で、支店長は「難しい店」を渡り歩いてきたことになります。
ただし、これはあくまで報じられてきた経歴の背景です。その経歴のどこかに事件の理由があったのかどうかは、確かめられていません。経歴と事件を短絡に結びつけることはできないのです。
線条痕の一致した男と、見送られた立件
事件から2か月後の1994年11月13日、ひとりの男が逮捕されます。無職の男(当時73歳)は、短銃を所持したまま住友銀行の大阪本店を訪れ、融資を引き出そうとしたとして、銃刀法違反の現行犯で逮捕されました。
読売新聞の報道によると、男は当初、自分が支店長を撃った実行犯だと供述しました。所持していた短銃を調べると、射殺事件の銃弾の線条痕とも一致したといいます。「犯人が捕まった」と思わせる展開でした。
ところが、捜査を進めるうちに、供述には矛盾が積み重なっていきます。男の話では、犯行の時刻に現場へ間に合わないこと。完全オートロックのマンションへ、どうやって入ったのか説明できないこと。射殺事件にどう関わったのかが、結局はっきりしなかったこと。こうした理由から、警察は男を殺人罪で立件することを断念します。
男はその後、実行犯であることを否定し、「事件について知っているが言えない」と口を閉ざすようになったと報じられています。線条痕の一致した銃を持っていたことと、撃った本人であることの間には、埋められない溝が残りました。なお、男には1977年に愛知県で起きた愛知医大三億円強奪事件で懲役13年の判決を受けた前科があり、1992年に出所していました。
実際に男が有罪となったのは、別の事件についてです。短銃所持の銃刀法違反、住友銀行の頭取宅へ脅迫状を郵送した脅迫、融資目的で現金を脅し取ろうとした恐喝未遂などで懲役7年。その後も、1993年に名古屋市の歯科医院で起きた強盗未遂で懲役3年、JRA理事長襲撃事件の強盗傷害で懲役4年の判決を受けています。男に短銃を貸したとされる暴力団幹部も、銃刀法違反で懲役5年の実刑判決が確定しましたが、射殺事件についての供述は得られなかったといいます。
男は岐阜刑務所で服役し、2009年6月に刑期満了で出所する予定でした。しかしその直前の2009年1月、刑務所で病死します。事件のことは何も語られないまま、銃の持ち主は亡くなったのです。
捜査と謎・数々の説
警察の動向
愛知県警は千種警察署を中心に捜査を続けました。線条痕の一致した男を殺人で立件できなかった以上、捜査の中心は「誰が撃ったのか」の解明に残り続けます。しかし、実行犯を特定できる決め手は得られないまま、時間だけが過ぎていきました。事件から15年後の2009年9月14日午前0時、殺人罪の公訴時効が成立します。中日新聞は同日の朝刊で「住銀事件が時効」と報じました。殺人罪で起訴された者は、最後まで一人もいなかったのです。
残された謎
いちばん大きな謎は、侵入と脱出の経路です。完全オートロックの建物に、犯人はどうやって入り、どうやって出たのか。二つ目は、動機が見えないこと。支店長という立場も、報じられてきた経歴も、それだけでは理由になりません。そして三つ目が、線条痕の一致した男の関わりです。男の銃が使われたのだとすれば、銃はどうやって犯人の手に渡ったのか。男が「知っているが言えない」と言ったとされる事件の核心とは、何だったのか。どれも、答えのない問いです。
説1:替え玉が出頭したという見方
男の当初の供述をめぐっては、本当の実行犯とは別の人物が、わざと「自分がやった」と名乗り出たのではないか、という見方が語られてきました。いわゆる「替え玉出頭」説です。供述に時間の矛盾があったことや、侵入の方法を説明できなかったことが、その根拠として挙げられます。ただし、これは立証された話ではありません。なぜ替え玉を引き受ける必要があったのかも含めて、確かめられた事実はないのです。
説2:銀行をめぐる組織的な背景という見方
被害者の経歴や、イトマン事件に代表される当時の住友銀行をめぐる不祥事と結びつけ、組織的な背景があったのではないかとする見方もあります。一橋文哉の著作や週刊誌の報道で取り上げられてきた説ですが、こちらも推測の域を出ません。銀行の内情に詳しい書き手が注目する一方で、事件とのつながりを示す確かな証拠が公表されたことはありません。
説3:男本人が関わったという見方
線条痕の一致は重い事実です。男の銃が事件で使われた可能性が高い以上、男自身が何らかの形で関わっていたという見方も成り立ちます。ただ、当初の供述には犯行時刻に間に合わないという矛盾がありました。銃が事件に使われたとしても、それを撃ったのが男本人だったのかは別問題です。警察が立件を見送ったのは、まさにその一点を証明できなかったからでした。
未詳録の考察
この事件の奇妙さは、手がかりが何もないことではありません。逆に、凶器とみられる銃も、それを持っていた男も、早い段階で見つかっていたのです。それでも「撃ったのは誰か」にたどり着けなかった。証拠があることと、事件が解けることは、こんなにも違うのかと思わされます。
完全オートロックの建物という条件も、同じです。侵入が難しいはずの場所だったからこそ、犯人の姿が見えなくなりました。住人の誰かが扉を開けたのか、前夜から中にいたのか、別の経路があったのか。条件が厳しい分だけ、考えられる筋道も限られるはずなのに、そのどれも確かめられないままです。
そして、被害者の名前は、当時の新聞でも明かされませんでした。大手銀行の支店長が自宅前で撃たれた大事件でありながら、被害者は「名古屋支店長」という肩書でだけ語られ続けてきたことになります。一人の人が命を奪われた事件であることを、その匿名性の向こう側に思い続けたいと考えます。
事件がもたらした影響・結末
時効廃止の7か月前に
事件当時、殺人罪の公訴時効は15年でした。2005年の法改正で、死刑に当たる罪の時効は25年に延びましたが、その改正より前に起きた事件には、従来の期間がそのまま当てはまります。この事件も15年のまま、2009年9月14日に時効を迎えました。
その約7か月後の2010年4月27日、殺人罪などの公訴時効は廃止されます。改正法は、施行の時点でまだ時効を迎えていない事件には新しい決まりを当てはめましたが、すでに時効が成立していた事件は対象になりませんでした。あと少し時効が先だったなら、今も捜査が続いていたはずの事件です。法改正の「あと一歩」のところで、刑事責任を問う道は閉ざされてしまいました。
残された記録
時効が成立したあと、愛知県警がこの事件について情報を呼びかけるページはありません。事件を伝える主な記録は、当時の新聞報道と、それをもとに書かれた著作です。男は亡くなり、建物の様子も、銀行を取り巻く状況も、あの頃とは大きく変わりました。確かめられる手がかりは、紙の記録の中にだけ残っていきます。
情報提供先
この事件は、2009年9月14日に公訴時効が成立しており、現在、警察が情報提供を呼びかける専用の窓口やページはありません。以下の連絡先は、当時事件を管轄した警察署と愛知県警察本部の一般の連絡先です。事件について新たな事実を知る立場にある方は、参考として掲載します。
| 窓口 | 電話 |
|---|---|
| 愛知県警察 千種警察署 | 052-753-0110 |
| 愛知県警察本部 | 052-953-9110 |
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参考資料
- Wikipedia「住友銀行名古屋支店長射殺事件」
発生日時と場所、現場の状況、短銃を持つ男の逮捕と立件断念の経緯、時効の成立を確認。出典として読売新聞・中日新聞の報道と一橋文哉『マネーの闇』が明記されていることも確認した。 - 読売新聞(1994年11月13日・14日)
男の逮捕と当初の供述、短銃の線条痕が一致したこと、供述の矛盾から立件が断念されたことを、Wikipediaの引用で確認(新聞の原紙は未照合)。 - 中日新聞朝刊「住銀事件が時効」(2009年9月14日)
2009年9月14日午前0時に公訴時効が成立したことを確認。 - 読売新聞(2009年4月9日)
男が2009年1月に岐阜刑務所で病死したこと、出所予定が同年6月だったことを確認。 - 一橋文哉『マネーの闇』(角川書店、2013年)147–152頁
発見時の現場の様子、被害者の経歴に関する記述を確認。 - 警察庁「平成23年版 犯罪被害者白書」コラム5 公訴時効制度の改正について
2010年の改正の内容と、すでに時効を迎えていた事件には新しい決まりが適用されないという経過措置を確認。


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