DNAが残る未解決事件|犯人の血も型も分かっているのに、なぜ名前にたどり着けないのか

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犯人の血が現場に残っている。指紋もある。DNA型まで分かっている。それなのに、犯人が誰なのかが分からない。未解決事件を調べていると、そんな事件に何度も出会います。

DNA型鑑定は、今や犯罪捜査に欠かせない技術です。わずかな血液や皮膚の細胞からでも、個人を高い精度で見分けることができます。けれど、DNAが残っていることと、その持ち主の名前が分かることは、まったく別の話なのです。

2000年の世田谷一家殺害事件、1996年の柴又三丁目女子大生殺人放火事件、1998年の三鷹市大沢五丁目アパート殺人放火事件。どれもDNAの手がかりがありながら、今も犯人は捕まっていません。その一方で、2025年には、26年間未解決だった名古屋市西区の主婦殺害事件で、現場の血痕とDNA型が一致した女が逮捕されました。同じDNAという証拠が、なぜ事件によってこれほど違う結果になるのか。この特集では、4つの事件を比べながら、科学捜査の力とその限界を考えます。

DNAの手がかりが残る3つの未解決事件

事件発生DNAに関する手がかり現在
世田谷一家殺害事件2000年12月現場に残った犯人の血液(男性・A型)から、DNA型や指紋が検出されたと報じられている未解決
柴又三丁目女子大生殺人放火事件1996年9月マッチ箱や布団に残った血液(男性・A型)から、男性のDNA型を検出未解決
三鷹市大沢五丁目アパート殺人放火事件1998年9月2016年の再鑑定で、被害者の爪から犯人のものとみられるDNAの一部が見つかったと報じられた未解決

同じ「DNAの手がかり」でも、どこに、どれだけ、どんな状態で残っていたのかは事件によって違います。3つの事件の証拠が、同じ精度や条件で得られたわけではないことは、最初に押さえておきたいところです。

世田谷一家殺害事件――あまりに多くの物証

2000年12月30日の午後11時ごろから31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷の住宅で、宮澤みきおさん(当時44歳)、妻の泰子さん(41歳)、長女のにいなちゃん(8歳)、長男の礼くん(6歳)の一家4人が殺害されました。

犯人は、驚くほど多くのものを現場に残していきました。凶器の柳刃包丁「関孫六 銀寿」、トレーナー、ヒップバッグ、帽子、マフラー、手袋、香水の付いたハンカチ、そして韓国製の運動靴の足跡。警視庁は、現場に残った血液から犯人を「男性」「A型」とし、いずれかの手にけがをしていた可能性があるとしています。報道によれば、犯人の指紋やDNA型も検出されています。

これだけの物証があれば、犯人はすぐに見つかる。事件の直後、多くの人がそう考えたはずです。ところが、トレーナーは全国41店で130着売られたうち、購入者が分かったのは12着だけ。靴も日本では正規に売られていなかった品でした。物をたどる捜査は、どこかで必ず行き止まりにぶつかります。DNAも同じで、型が分かっていても、照らし合わせる相手が見つからなければ、名前にはたどり着けないのです。

2025年7月にはFNNが、警視庁が専門機関に依頼して現場のDNAを解析した結果、犯人が犯行当時30代だった可能性が浮上したと報じました。服装などから「比較的若い」とされてきたそれまでの見方に、新しい角度を加える情報です。ただ、これは捜査関係者への取材に基づく報道で、警視庁が公式に示した犯人像ではありません。年齢がある程度絞れたとしても、それだけで名前や居場所が分かるわけではありません。

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柴又三丁目女子大生殺人放火事件――マッチ箱と布団に残った血

1996年9月9日、東京都葛飾区柴又3丁目の住宅で、上智大学4年の小林順子さん(当時21歳)が刃物で殺害され、自宅に火を付けられました。警視庁によれば、事件が起きたのは午後3時50分ごろから午後4時39分までの、わずか50分足らずの間です。順子さんは、2日後にアメリカへの留学を控えていました。

警視庁は、犯人は男性で、犯行のときにけがをして出血しており、血液型はA型だとしています。現場で見つかったマッチ箱の血痕と、順子さんにかけられていた布団の血痕からは、同じ男性のDNA型が検出されました。犯人は順子さんを刺した際に、自分もけがをしたとみられています。

2026年9月に事件から30年を迎えた際の女性自身の記事によると、事件後、地元に住むA型の男性の多くが、髪の毛を任意で提出してDNA検査を受けました。断ってもいいが、その場合は重要参考人として扱うと言われた客もいた、と地元の店主は語っています。DNAは、多くの人を「犯人ではない」と確かめることはできます。ただ、その網の中に犯人がいなければ、どれだけ人数を重ねても答えにはたどり着けません。捜査員は延べ12万人を超えて投入されましたが、警視庁は今もこの事件の情報を求め、2026年9月には当日目撃された不審な男の新しい画像も公開しています。

順子さんの父・賢二さんは、殺人罪の時効を廃止する運動に取り組み、2010年の法改正につなげた人でもあります。「犯人は逃げ切れない」。30年がたった今も、そう信じて情報提供を呼びかけ続けています。

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三鷹市大沢五丁目アパート殺人放火事件――18年後の再鑑定

1998年9月28日の午後10時ごろ、東京都三鷹市大沢五丁目のアパートの1階で火が出て、この部屋に住む31歳の女性が殺害されているのが見つかりました。警視庁は殺人放火事件として、今も捜査を続けています。

この事件で注目したいのは、事件から長い時間がたってから、DNAの手がかりが見つかったことです。2017年のテレビ朝日の報道によれば、2016年に保存されていた資料を鑑定し直したところ、被害者の爪から犯人のものとみられるDNAの一部が検出されました。もとの報道は現在見られず、警視庁の公開ページにもDNAについての記載はないため、当時の報道に基づく情報として受け止めておく必要があります。

事件当時には調べられなかったものが、技術の進歩で読み取れるようになる。保存されていた資料を鑑定し直すことには、そういう大きな意味があります。ただし、検出されたのが「一部」であれば、得られる情報にも限りがあります。2025年9月に更新された警視庁のページには、今も「犯人はまだ明らかになっていません」と書かれています。新しい手がかりが見つかることと、そこから犯人にたどり着くことのあいだには、まだ長い距離があるのです。

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DNAがあるのに、なぜ犯人が分からないのか

DNA型に名前は書かれていない

DNA型鑑定は、二つの資料が同じ人に由来するかどうかを、高い精度で確かめる技術です。しかし、現場のDNAをどれだけ詳しく調べても、そこに氏名や住所が書かれているわけではありません。警察庁の『警察白書』によると、警察は逮捕した被疑者のDNA型記録と、現場に残された遺留DNA型記録をデータベースに登録し、未解決事件の捜査などに役立てています。データベースに一致する人がいれば大きな手がかりになりますが、犯人が一度も登録されていなければ、型が分かっていても照らし合わせようがないのです。

DNAがあっても、それだけで犯行の証明にはならない

DNAが見つかった場所や状況も大切です。誰でも出入りする場所に残ったDNAと、争った跡のある場所で見つかった血液とでは、証拠としての重みがまったく違います。たとえ型が一致しても、その人がいつ、なぜそこにDNAを残したのかを確かめなければなりません。DNAは強力な証拠ですが、目撃証言や行動の記録、ほかの物証と組み合わせてはじめて、事件の全体像が見えてきます。

古い資料は、保存状態に左右される

技術が進めば、かつては調べられなかった微量のDNAも分析できるようになります。とはいえ、すべての資料が鑑定のやり直しに耐えられるわけではありません。DNAが傷んでいたり、何人ものDNAが混ざっていたりすれば、読み取りも評価も難しくなります。将来の鑑定を見すえて、資料をどう保管しておくか。それ自体が、大切な捜査の一部だといえます。

顔や血縁を探る新しい技術と、その壁

近年は、DNAから顔立ちや年齢などを推定する技術や、血のつながりをたどって捜査の対象を絞り込む手法が注目されています。2026年の元日には、世田谷事件を担当した元成城警察署長が、犯人に向けて「DNAの捜査で顔が明らかになる」と呼びかけました。ただ、DNAから作った顔の推定像は、本人の写真と同じものではありません。血縁をたどる捜査では、事件とまったく関係のない親族の遺伝情報をどう守るのかという問題も出てきます。技術としてできることと、捜査で使ってよいことは、同じではないのです。

それでもDNAは事件を動かす――名古屋、26年後の逮捕

反対の結果になった事件も見ておきましょう。1999年11月13日、名古屋市西区のアパートで、高羽奈美子さん(当時32歳)が刃物で刺されて亡くなりました。現場には、犯人のものとみられる血痕が残され、外の路上にも点々と続いていました。愛知県警は26年のあいだに5000人を超える人から話を聴いたとされますが、長く犯人にはたどり着けませんでした。

事態が動いたのは2025年です。県警は、被害者の夫の高校時代の同級生だった女から何度も事情を聴き、DNA型を調べるための資料の提出を求めました。女は当初応じませんでしたが、10月に提出し、そのDNA型が現場の血痕と一致します。女は10月30日に警察署に出頭し、翌31日、殺人の疑いで逮捕されました。名古屋地検は2026年3月5日、殺人罪で起訴しています。ただし、起訴は有罪が確定したという意味ではありません。

この事件で大切なのは、現場の血痕から突然、名前が浮かび上がったわけではないということです。再捜査で調べるべき人物が浮かび、話を聴き、そのうえでDNA型を照らし合わせた。DNAは、調べるべき人を自動的に教えてはくれません。けれど、その人にたどり着いたとき、26年間保管されてきた証拠が決定的な役割を果たすことがあるのです。

未詳録の考察――DNAは答えではなく、答えへの道しるべ

4つの事件を並べてみると、DNAの「ある・なし」よりも、それを一人の人間にどう結びつけるかのほうが、ずっと難しいことが分かります。世田谷には犯人自身の血と指紋があり、柴又には男性のDNA型があり、三鷹では18年後に新しい手がかりが見つかりました。それでも、どの事件も犯人の名前にはたどり着いていません。名古屋で事件を動かしたのは、DNAそのものというより、名簿の中から一人の人物を浮かび上がらせた地道な再捜査だったのではないでしょうか。

その一方で、技術への期待が大きいほど、DNAを過信する怖さも忘れてはいけないと考えます。型が一致したというだけで人を決めつけてしまえば、かつての足利事件のような冤罪がまた生まれかねません。検出された状況や鑑定の限界を、いつも冷静に見きわめる必要があります。

DNAは、事件の答えそのものではありません。答えへ近づくための、確かな道しるべです。その道しるべを本当の答えにつなげるのは、あの日のことを覚えている誰かの記憶なのかもしれません。

これからの捜査に求められること

警察庁は2024年3月の通達で、人を死亡させた事件について、事件が解決するまで捜査本部の態勢を保つよう求めました。科学技術の進歩によって、これまで難しかったDNA型鑑定などができるようになる場合があるとして、遺留資料の鑑定のやり直しを随時行うこと、残された指紋や掌紋も随時照会し直すことを指示しています。発生から5年以内や、時効のない事件では15年がたった時点などで、専従の捜査員を置いて捜査方針を見直すことも盛り込まれました。

技術はこれからも進みます。それでも、新しい鑑定が必ず解決につながる保証はありません。必要なのは、鑑定と並んで、過去の証言を洗い直し、当時の人間関係を調べ直し、市民からの情報で新しい接点を見つけていくことです。そして、DNAという究極の個人情報を捜査にどこまで使ってよいのか、社会全体でルールを考えていくことも欠かせないのではないでしょうか。

情報提供先

3つの未解決事件について、警視庁は今も情報を求めています。どんなに小さなことでも、心当たりのある方は各警察署へ連絡してください。

事件連絡先
上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件成城警察署 特別捜査本部 03-3482-0110
柴又三丁目女子大生殺人 放火事件亀有警察署 特別捜査本部 03-3607-0110
三鷹市大沢五丁目アパート内女性殺人放火事件三鷹警察署 特別捜査本部 0422-49-0110

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参考資料

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