佐藤智広くん行方不明事件|真冬の旭川、13歳はなぜ薄着で家を出たのか

雪の積もった夜の住宅街と、雪の上に続く足跡(佐藤智広くん行方不明事件のイメージ) 2010年代

2012年1月15日、日曜日の夜。北海道旭川市は、深い雪に包まれていました。午後9時30分ごろ、緑が丘の自宅から、一人の少年が飛び出します。中学1年生の佐藤智広(さとう・ともひろ)くん、当時13歳でした。

その夜の旭川は、氷点下15度前後まで冷え込んだと報じられています。智広くんの服装は、黒いジャンパーにグレーのズボン、そしてスニーカーという軽装でした。携帯電話は家に置いたまま。帰ってこない息子を母親が車で探し回り、翌朝には警察へ捜索願が出されましたが、智広くんは見つかりませんでした。

あれから14年。バスにも、電車にも、防犯カメラにも、智広くんの姿は残っていません。あの夜、雪の街で何があったのか。今も分かっていないのです。

なお、この事案について、智広くんが犯罪の被害に遭ったことは確認されていません。未詳録では、警察が公表する行方不明者としての記録を中心にたどり、家族の証言は証言として区別して記します。

事件の概要

項目 内容
通称 佐藤智広くん行方不明事件
発生日時 2012年(平成24年)1月15日(日)午後9時30分ごろ、自宅を出たまま行方不明
場所 北海道旭川市緑が丘の自宅
行方不明者 佐藤智広くん(当時13歳、中学1年生。平成10年生まれ)
身長・体重 165センチメートル、50キログラム
特徴 眉間にあざがある
当時の服装 黒色ジャンパー、グレー色ズボン、白色スニーカー(VANS製、サイズ27センチ、靴ひもの色が左右で違う)
所持品 財布のみとされる(現金約1,000円とバスの回数券数枚が入っていたと報じられている)。携帯電話は自宅に置かれたまま
捜索 警察が事件と事故の両面から捜索。ヘリコプターによる捜索や、自宅近くの河川の捜索も行われた
現状 行方不明のまま。北海道警が情報提供を呼びかけている
情報提供先 旭川東警察署 生活安全課(0166-34-0110)

当日の経緯

家族の証言が伝える、その夜

報道や家族の証言によれば、その夜、智広くんは姉とのテレビのチャンネル争いの中でニンテンドーDSを壊してしまい、母親に叱られた直後だったとされます。2026年1月の日テレNEWSの特集では、母の舞さんが、部屋を片付けるよう注意したことから口論に発展したと振り返っています。伝えられる経緯には少しずつ違いがありますが、ありふれた家庭のいさかいの直後に家を飛び出した、という点は重なっています。

持っていたのは、コートのポケットに入っていた財布だけだったと、母は振り返っています。中には現金約1,000円と、バスの回数券が数枚入っていたと報じられています。携帯電話は、自宅に置かれたままでした。

薄着のまま、雪の夜へ

北海道警が公表する当日の服装は、黒色ジャンパー、グレー色ズボン、白色のスニーカー(VANS製、27センチ)です。スニーカーは靴ひもの色が左右で違うという、目立つ特徴がありました。

1月の旭川の夜は、氷点下10度を下回ることが珍しくありません。その夜は氷点下15度前後まで冷え込んだと報じられており、智広くんの服装は、長く外にいられるものではなかったはずです。それだけに、近くの友人宅や知人の家に向かったのではないか、どこかで一夜を明かしたのではないか。そう考えるのが自然でした。けれど、智広くんは、どこにも現れなかったのです。

母の捜索と、翌朝の捜索願

家を出てから約1時間がたっても帰ってこないことを心配した母は、車で市内を探し回りました。近所のコンビニエンスストアなどを見て回っても、息子の姿はどこにもありませんでした。翌16日の朝、母は警察に捜索願を出します。ここから、警察による捜索が本格的に始まりました。

捜索の経過

事件と事故の両面から

ABEMA TIMESの取材では、警察が事件と事故の両面から捜索をしたと伝えられています。13歳の少年が、氷点下の夜に薄着で姿を消した。事故に遭った可能性も、何らかの事件に巻き込まれた可能性も、そして自らの意思で遠くへ向かった可能性も、初めからどれか一つに絞ることはできなかったはずです。

空と川への捜索

捜索にはヘリコプターも使われ、自宅近くの川なども調べられました。しかし、手がかりはつかめなかったといいます。真冬の北海道では、足跡のような痕跡も、降り続く雪に埋もれてしまいます。捜索する側にとって、雪は静かな壁でした。

交通機関に残らなかった足取り

電車やバス、タクシーでの目撃情報はありませんでした。財布にはバスの回数券が入っていたとされますが、それが使われた形跡も伝えられていません。防犯カメラにも、智広くんの姿は確認されなかったのです。

旭川市内から、どうやって移動したのか。そもそも市内から出たのか。その手がかり自体が残されなかったことが、この事案の捜索を難しくしてきました。

写真とともに続く公開

北海道警は、行方不明者の公開ページに、智広くんの写真と当時の特徴を掲載し続けています。身長165センチ、体重50キログラム。眉間のあざ。左右で靴ひもの色が違う白いスニーカー。14年がたった今も、これらの具体的な情報が、そのまま手がかりとして示されているのです。

公開が続いているということは、警察が今も「見つかる可能性」を前提に探しているということでもあります。情報提供の窓口は閉じられていません。

残された謎・手がかり

なぜ目撃情報がないのか

緑が丘は、旭川市の住宅街です。日曜日の夜9時半とはいえ、道を歩く人がまったくいなかったとは考えにくい時間帯です。白いスニーカーで雪道を歩く少年が、誰の目にも留まらなかったのか。それとも、目撃した人がいても、「あの夜の少年だ」とは結びつかなかったのか。今となっては確かめる術がありません。

財布と回数券

智広くんの持ち物は、約1,000円の現金とバスの回数券数枚だったと報じられています。遠くへ行くには、あまりに乏しい所持品です。近くの場所にとどまったのか、それとも何か別の事情があったのか。公表された情報から、そこまでは分かりません。

13歳の特徴が、今も手がかり

もう一つの難しさは、時間の経過そのものです。行方不明になった当時、智広くんは13歳でした。生きていれば、今は27歳になっています。少年の面影を残したままの大人は、もういません。

それでも警察が当時の写真と特徴を公開し続けるのは、成長した姿を想像しながら見守ってほしい、という呼びかけでもあるはずです。「あの子かもしれない」という記憶が、年月を経てから意味を持つこともあるのです。

事件か、事故か、それとも

この事案について、事件性は断定されていません。北海道警の公開ページは今も「行方不明の少年に関する情報提供のお願い」として、智広くん本人を探し続けています。何が起きたのか、という問い自体が、14年間、答えのないまま残されているのです。

未詳録の考察

この事案の記録を読むと、まず「きっかけ」の小ささに胸が痛みます。チャンネル争いに、壊れたゲーム機、叱責と口論。どこの家庭にもあるような、日曜日の夜の出来事でした。それが、14年にも及ぶ行方不明の始まりになってしまったのです。

そして、目撃情報のなさです。同じ北海道の室蘭女子高生失踪事件では、最後の姿が防犯カメラに残り、乗ったバスの時刻まで分かっていました。智広くんの場合、記録に残っているのは「午後9時30分ごろ、家を出た」という一点だけです。情報が少ないということは、探す側にとって、それだけ空白が広いということでもあります。

母の舞さんは、2019年の取材で「トモの声が聞きたいというのが一番。元気だよ、という声だけでもいい」と話していました。智広くんは、生きていれば今27歳になっています。もしどこかでこの記録を目にすることがあれば、せめて無事だけでも伝えてほしい。そう願わずにはいられません。

その後の動き・現在

続く呼びかけ

北海道警は現在も、行方不明者として智広くんの情報提供ページを公開し続けています。当時の身長や服装、眉間のあざといった特徴は、今も手がかりとして示されています。母もまた、報道を通して呼びかけを続けてきました。

行方不明から7年となった2019年には、ABEMA TIMESが母の舞さんを取材しています。智広くんが20歳を迎える年でした。

「トモの声が聞きたいというのが一番。顔も見たいし、安心させてもらいたい」。母の言葉は、節目ごとに繰り返し伝えられてきました。成人を迎えてもなお、帰りを待つ時間は止まったままだったのです。

14年目の特集

2026年1月15日、行方不明からちょうど14年となる日に、日テレNEWSが特集を伝えました。取材した記者は、小学生時代に智広くんと同じサッカーチームでプレーした、元チームメートでした。記事には「責任感があり、仲間思いだった」という、少年時代の智広くんの姿が記されています。節目の日にこうした特集が組まれること自体、この事案が今も人々の記憶に残り続けている証しだと思います。

情報提供先

北海道警は、智広くんに関する心当たりを今も求めています。2012年1月15日の夜、旭川市緑が丘やその周辺で、薄着の少年を見かけた記憶がある方は、ささいなことでも連絡してみてください。

窓口 電話
旭川東警察署 生活安全課 0166-34-0110
北海道警察旭川方面本部 生活安全課 0166-35-0110

北海道警察「旭川市内から行方不明の少年に関する情報提供のお願い」

関連記事

参考資料

コメント

タイトルとURLをコピーしました